![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
こんにちわ。
今日は、2016年1月10日の日曜日です。
前回と3日ほど間が開きましたが、始めましょう。
+++
先回、イエスが人々に語った教えの一つを述べました。
要約すればそれは~
・私(イエス)はこれから殺されるが、その死は、人類の罪の代償になる。
・私のその言葉を信じたものには、それが実現する。
~でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_lazy.gif)
<結局「宗教」か>
この話を読んで、期待外れの気持ちを抱かれた読者は多いのではないでしょうか~。
「な~んだ、例のごとく “信じるものは救われる”というのか」
「宗教の常套手段だ」
「いわしの頭も信じれば貴く見えるという」
「そうやって信じさせ、無批判にさせておいて、信者をロボットのように動かし、お金を出させるのだろう」
「キリスト教は違うと思ったが、結局、世の中に沢山あるる宗教と変わりないではないか」
~と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/choki.gif)
<対象を明確に打ち出している>
確かに「信じなさい」という部分は同じかもしれません。
けれども、キリスト教の場合、その中身には独特なものがあります。
このあたりに、一歩踏み込んでみましょう。
長くなるので、何回かに分けて考えます
+++
違いの一つは、イエスは約束の言葉を「明確に」発していて、聖書もそれを記録していることです。
そして信じたら「それが実現する」という。
言っていることに「ぼかし」がないのです。
+++
余談ですが、情熱的なクリスチャンは「他にもある」と熱く語るかもしれません。
キリスト教では教祖が「信じよ」といっておいて献金で豪邸に住む、ということをしないよ。
きらびやかな衣装で,信徒の前に登場すると言うこともないよ。
そもそも、信じるもののために教祖が死ぬ、ということなど、他の宗教ではないよ、と。
~もっともなところもありますが、ここまで行くと話が複雑になります。
まずは(信じたら約束の)「言葉が実現する」という点を吟味してみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
<物質とエネルギー>
これには、人の「思い」や「言葉」のエネルギーについて考えねばなりません。
また、そのためには、まず、物質とエネルギーの関係についてみておく必要があります。
少し難しくなりますが、やってみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/nezumi.gif)
<原子と分子>
物質は究極的には、原子というツブツブ物質で出来ていそうだ、という考えがギリシャ哲学の時代からありました。
そして近代になると、実際にもそうであることが明らかになりました。
原子が組み合わさって分子になる。
この分子が、直接には我々の観察する物質を形成しているのだ~と。
+++
たとえば、水素、酸素は原子です。
それら自体は、「気体」になっています。
ところがその水素が二個と、酸素が一個組み合わさると、なんと、水という「液体」になる。
この結合体が分子です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
<原子核と電子>
ところがさらに時代が進むと、その原子が、原子核とその周囲を回る電子でなっていることもわかってきました。
原子核は、陽子と中性子がくっついて成っています。
陽子はプラスの電荷を持ち、中性子はもちません。
他方、電子はマイナスの電荷を持っている。
プラスとマイナスは、互いに引き合っていて、だから、電子は原子核(陽子)の周りを回っている。
~そういうこともわかりました。
+++
電子は原子核の周りを、円軌道を描いて回っています。
その状態は、こういうイメージです。
原子核をサッカーボールだとします。
電子はそこから1キロメートル離れて〈半径1キロメートルで)原子核の周りを回っている。
大きさはピンポン球のようなイメージになります。
原子核と電子の間は、真空でなにもありません。
原子は、スカスカの物質なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hand_goo.gif)
<分子は電子を共有した原子で出来ている>
原子がその電子を他の電子と共有すると、二つは結合して分子になります。
一個の酸素原子(O)の電子二個を、水素原子(H)二個が各々一つの電子を共有すると結合します。
そして水という分子になります。
中学校の理科でおなじみのH₂O(2はHの右下の小さい文字になります)というのはそれを表しています。
だから、分子もまた、大半が真空のスカスカの存在なのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ang.gif)
<素粒子>
物理学者は陽子や中性子や電子を素粒子(an elementary particle) と総称しました。
「素」は、もとになるもの、「粒子」はつぶつぶの塊、という意味です。
陽子も中性子も電子も素粒子なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
<量子力学>
ところがさらに最近になると、それら素粒子は波のように動いていて、波動を発する波動(運動)体でもあるらしいこともわかってきました。
また物質もこれくらいに微少になると、従来考えられなかった不思議な現象をも起こすのでしょうか。
理由はよくわからないのですが、どうも素粒子の波動のような面が、予想されなかった現象を引き起こしているようなのです。
そこで、そのことを発見した物理学者は、これらの素粒子を新しく量子(りょうし:quantum)と呼んでとらえ直すことにしました。
つまり、従来の素粒子を、粒子と波動の集まりとの二つの面を重ね持つ存在と認識して、
新たにそれを量子という名をつけたわけです。
そして、これを探求する学問を量子力学(りょうしりきがく)とした。
また、それ以前の従来の物理学を古典物理学と呼ぶことにしました。
+++
量子力学は発展途上でして、「量子力学を十分にわかっている人はまだいない」ともいわれています。
そういう不完全な状態ながら、量子理論でしか説明できない事象も実際に起きています。
量子コンピューターなどというものが、すでに造られて、カナダで動かされている、という。
それは量子力学の理論で製造したもので、従来の、古典物理学理論をベースにしたスーパーコンピューターの何万倍という速度の計算能力を発揮しているという。
量子力学は単なる、空想理論ではないようなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
<「波動体でもあり粒子でもある」とは>
しかし、我々人間には「粒子でもあり波動体でもある」というのが、よくわかりませんね。
我々の五感感覚でイメージしたいものだ。
おそらくそれへの答えとしてでしょう、「超ひも理論」という物理理論が出てきました。
+++
「超ひも」というのは、極微小の輪ゴムのようなイメージです。
輪ゴムが広がったり縮んだりして、波打つように常時運動している、というイメージだ。
動いているとなれば、それは、エネルギー体でもあります。
宇宙にはそういうエネルギー体が充ち満ちている。
それは運動体でありながら、凝集すれば、粒子のような感触を人間に与えるだろう。
そういう風にもイメージすることもできるわけです。
+++
さてこうなりますと量子のイメージは一歩進みます。
つまり、従来の「つぶつぶの超微粒子(従来素粒子とみられてきた)でもあり、同時に波動(運動)体でもある」
というのは2つの性格を並立的に見たイメージです。
超ひも理論は、そういう並立的な見方を超えて「波動体の方が根源である」といいう見方を与えてくれます。
波動体が凝集すると、粒子の感触も与える、というのなら波動体の方が根源ですからね。
+++
そして根源が波動体であれば、それは運動体ですからエネルギーでもあります。
エネルギー波動体といったらいいかな。
これが我々が観察してきた物質の根源であることになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/v.gif)
<相互変換関係と繋がっている>
余談ですが、この考えは、古典物理学の理論とも適合するところがあるのですよ。
量子力学は、ニュートン物理学もアインシュタイン物理学も古典的理論にしてしまいました。
そのアインシュタイン物理学に「エネルギーと物質は相互変換関係にある」という大発見があります。
アインシュタインは、エネルギーと物質との量的関係を示す数式( E=MC2 ;2はCの右上に来るべき、二乗を示す2) まで見出しました。
これでいくと、1グラムの物質もマグニチュード6の地震を起こすくらいのエネルギーが凝縮してできていることになるそうです。
ちなみに、物質に凝集されたこのエネルギーを解放する技術ができた結果、出現したのが原子爆弾や原子力発電装置です。
ともあれ、この「物質とエネルギーは相互変換関係にある」という法則、これは量子力学の思想と繋がっています。
量子力学では、物質の根源はエネルギーだというのですから。
量子力学は、エネルギーと物質との相互変換関係を否定しないのですね。
<物質はエネルギーの一形態>
ただし、量子力学は、物質とエネルギーを並立的に見るのを超えて、エネルギーをベースにする思想をもっています。
そして、この思想で行くと、エネルギーが変換されて出現する相手は物質に限定されなくなります。
エネルギーは全ての存在の根源なのですから、変化するのは物質以外の存在だっていいわけです。
+++
その思想は「物質はエネルギーの一形態」という言葉も生みました。
その思想で行くと、「アインシュタインはたまたま、物質との関係を見出した」ということになりますよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/wakaba.gif)
<「思い」や言葉もエネルギーの一形態となれば・・・>
これが「信じる」という行為の物理的効果への道を開きます。
もし「人の思い」や「それを表現している言葉」も、エネルギーの一形態だったらどうでしょうか。
もしそれが言えたらイエスの言う「信じればそのようになる」が、独特の物理学的意味を持つことになrでしょう。
次回には、その話に向けて前進しましょう。
(「キリスト教の正しい学び方」 第6回 完)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/beers.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます