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こんにちわ。
本日は、真理という考え方が、「万物の創造神」という神イメージあってこその新概念であることを示します。
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これまでに筆者は、イエスの新しい教えの骨子を示してきました。
イエスは「聖書(旧約・・・以下同じ)が創造神メッセージの受信記録」であるとしていました。
この点は当時のユダヤ人と同じです。
だが、その解釈が違った。
① 「聖書の“罪”は思いの罪も含めているのだ」
② 「聖書は結局わたし(イエス)のことを述べた本なのだ」
~これらをイエスは「自分は全てを知っている全知の存在である」として権威をもって語りました。
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<創造神の知識を話しているのだ!>
そんなこと言えば人は「お前は自分を何様だと思ってるのか!」と投げ返しますよね。
時の勢い、自然の情です。
だがイエスはこれに対して、「自分は創造神のひとり子であり、全知の父(創造神)から全てを聞いているのだ」と宣言した。
そして、「聖書の思想では創造神でなければ出来ないことになる奇跡」を連発しました。
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奇跡はここではさておきまして、「イエスの言葉が全知者の言葉である」ということが、もし、事実ならばどうなるかを今回は考えておきます。
〈聖書は、「事実である」という姿勢で書かれていますが、これに生身の人間はどう対すべきかは、後に考えます)
新約聖書はみずから、「創造神からの導きを(霊感に)受けて書かれたもの」といっています。
また、前述したように、旧約聖書もみずから「創造神メッセージの受信記録」といっています。
これをまとめていえば「聖書全体は創造神の導きで書かれたもので、つまるところの著者は万物の創造神だ」ということになります。
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すると、ここに込められている知識は、人間の造る知識とは、性格を異にすることになります。
そのことは理論知識、とりわけ、天体に関する理論知識を例に取るとわかりやすいでしょう。
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<天動説>
人間はむかしから「天空は我々の住む地面の上を回っている」と考えてきました。
自分の生活経験からそう考えてきた。
朝が来て空が明るくなります。
昼が来て、その次に夜が来ると暗くなります。
また朝が来ると明るくなる。
これは天体が自分たちの頭上で回っているからである、と人々は思ってきた。
庶民も僧職者も学者もそれが当然だと考えてきました。
今ではその思想は天動説と呼ばれています。
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<地動説>
ところが近世になると、望遠鏡が発明されたりして、従来見えなかった事象が新しく見えてきました。
すると天動説では説明がつかないものも出てきました、
そして、従来と正反対の説を考え出す人が出ました。
コペルニクスはその代表で、「我々の住む地面は実は丸い星の一部であって、こちらの方が動いて太陽の周りを回っている」という理屈を考案しました。
ガリレオも同じ理論を考え出しましたた。
この理論知識はいまでは地動説と呼ばれています。
そしてこの説は、新しく見えてきた事象も含めて、すべてを筋道だてて説明してくれました。
人々は、地動説の方が正しいと思うようになりました。
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<科学は「仮説造り」の営み>
「天動説から地動説へ」というような大転換ではありませんが、天文学ではガリレオ以後にも新事象を発見し、理論を修正し続けてきています。
どうしてそうなるか?
人間は全ての存在を認識することが出来ないからです。
だから、知識を発展させようとすれば、観察できる範囲を少しずつ広げていくしかない。
それに応じて地動説も修正され続けることになります。
科学の理論は修正され続ける運命にあるのです。
これを示すために科学者は、自分たちが作る理論を、仮説(かせつ:仮に設定した説:英語は hypothesis)というようになりました。
そしてそのことは天体理論に限らず、人間のすべての知識についていえることだ。
人間が製造する知識は仮設であり続けます。
人間の知識作りの営みは、終わりのない「仮説⇒修正⇒新仮説⇒再修正・・・」の営みなのです。
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<創造神の知識は「究極不変」の知識>
ところが、もしも、「すべての存在である万物」を作った創造神がいたらどうでしょう。
万物を造った創造者ならすべての被造物のすべてを知っているはずです。
この世にテレビが存在する前にそれをイメージし、設計し、製造したのは人間です。
人間は、テレビの存在目的も仕組みも全て知っています。
このように創った側は被造物の全てを知っているのです。
すると、こういう方からの知識は、はじめから、もう修正されることのない究極にして不変な知識、という道理になるでしょう。
聖書は「自らのメッセージに込められている創造神の知識は、そういう性格の知識だよ」といっているのです。
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<「真理」の本義は「変わらざる知識」>
この不変の知識、究極の理論を、英語ではトルース(truth)といっています。
この概念は基本的に聖書の概念なのです。
もちろん、ヘボン先生が初の邦訳聖書を造っておられた頃には、日本にはそんな理念はありません。
先生は思案されたでしょう。
その結果、このトルースの語に漢字の「真理」をあて、それに「まこと」とふりがなを振りました。
先生がそういう工夫をされて、真理という語が日本に出現しました。
真理は聖書用語だったのです。
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繰り返します。
人間自製の知識は修正されていく「仮説」です。
対して創造神メッセージの中の知識は「真理」です。
聖書の含め持っている、この知識の性格の違いを、明確に理解するのは、キリスト教を正しく学ぶために必須なことです。
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<学問は真理の追究?>
余談です。
我々は高校や大学で~
「学問は真理の追究である」
~という言葉を聞かされます。
でも、何を言ってるか釈然としなかった。
それが今回の話でおわかりになったでしょう。
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<西欧文化はキリスト教を知って初めて・・・>
またそれは~
「西欧文明はキリスト教(聖書)を知って初めてわかる」
~という、よくいわれる格言のようなものの理解をも、
助けてくれそうですね。
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<わたしの言葉は永続するよ>
もう一つ余談を。
この思想は、イエスの次の言葉にも繋がっていきます。
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「この天地は滅びます。
しかし、私の言葉は滅びることはありません。
(『ルカによる福音書』21章33節)
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この聖句には、前述した「言葉は量子である」という量子力学的視野を援用すると、
さらにリアルに感じられるかもしれませんね。
また、この聖句はさらに~
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「わたし(イエス)の言葉が諸君(弟子たち)の内に留まるなら、何でも欲しいものを求めなさい。
それはかなえられます」
(『ヨハネによる福音書』15章7節)
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~にも繋がります。
これも「言葉は量子であり、エネルギーである」という量子力学的理解がイメージを助けてくれそうですね。
本日は、これまでにしておきましょう。
(「キリスト教の正しい学び方」 第10回 完)
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