
<今週の賛美歌>
「いつくしみ深き」讃美歌 312番
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http://promises.cool.ne.jp/newpraisemidi.shtml

<今週の説教>
(聖句)
「ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちより心が開けていた。彼らはパウロたちの話に熱心に耳を傾け、はたしてメッセージが真理であるかどうか、確かめようと、日々聖書の言葉を調べた」(使徒行伝、17章11節)
@ @ @
「私は料理素材としてニンニクを使うことを薦めません。これは呪いの食物だと聖書にかかれているそうです。カインが弟を殺したとき、その血の流れた土地に生えてきた呪いの植物だと。それで、世界のベジタリアンにも、これを食べない人が多いそうです」
料理に長けたある女性から、こういう話を聞いたことがあります。春平太はちょうどそのとき聖書を持っていましたので、話が終わった後、「そんな記述は聖書にはありませんよ」と、お伝えしました。その箇所を読んで聞かせてさしあげました。
@ @ @
カインとアベルは、アダムとイブの間に最初に生まれた男の子です。弟のアベルは「羊を飼う者となり、カインは土を耕す者になった」と聖書にはあります(創世記、4章2節)。それである時期に創主に献げものをするのですが、兄の献げものには創主は目を留められませんでした。理由は、収穫物の中の最良のものを献げなかったから、という主旨が記されています。
初子の中の、それも最良の羊を献げた弟アベルのものに創主が目を留められたのを「ねたんだ」アベルは、弟を殺します。それで、すんでいた土地を追い出され「エデンの東」、ノデの地に住み着いた、とあります。が、「弟の血が流れた土地から、にんにくが生えてきた」などという記述はありません。
おそらく、父、母のアダムとイブが、エデンの園で、創主に対して罪を犯したときに、「土地にイバラとアザミを生えさせる」という創主の言葉が出たことと、混同しているのでしょう。
だが、彼女によれば、このニンニクの話を本当だと思っている人は、結構いるそうです。どうしてそうなるのでしょうか。ここには、相応の信憑性を感じさせる話が仕掛けられています。一つは「世界のベジタリアンもニンニクは食べない」というメッセージです。「はたしてそうかな?」という気持ちを抱いても、そこにこういうメッセージをかませられると、「そうか、それならホントだろう」と簡単に信じ込む傾向が人にはあるのです。
もう一つは、「聖書にある」というメッセージでしょう。聖書というのは、それなりに、何か深い真理がかかれている、というイメージを人々に与えています。だから、「聖書に・・」と一発かまされると、人々はコロンと信じてしまいます。実際、こういうカマセでもって、大学生や大学院生や弁護士、医師までに自分の世界観を信じさせ、被害甚大な社会犯罪を犯させた宗教教団の教祖も、20世紀末の日本に出ています。
@ @ @
では、こうした情報被害から身を守る方法はないでしょうか。あります。確かめればいいのです。世界のベジタリアンの食事嗜好を調べるのは大変ですが、聖書の記述を調べるのは、簡単です。本のページを開けばいいのです。たったそれだけのことです。
@ @ @
上に掲げました今週の聖句、使徒行伝の一節には、そういう弊害から抜け出せていないテサロニケのユダヤ人と、抜け出せているベレヤのユダヤ人との対照が記されています。ユダヤ人は、旧約聖書をよく学んでいる民です。そこへパウロという使徒がきて、彼らが教わってきていない、新しい聖書解釈をメッセージしました。具体的には、旧約聖書をイエスのことを証言している本として、解説したのです。
すると、テサロニケの人は、「それが自分たちが教わってきていないものだ」というだけの理由で、話している者を襲いました。聖書に改めて当たるということなく、ただただ怒って、パウロたちを襲いました。
ベレヤの人たちは、「果たしてそう解読できるのか、と聖書の言葉そのものに改めて触れ始め」ました。この人たちの中から、パウロの話を真理だと判断する人が多く出た、と「使徒行伝」の著者ルカは記録しています。
しかし、信じたとか信じなかったとかいう結果をいう前に、大事なことがあります。テサロニケ人には、身の危険をも顧みず伝えようとしてきている、パウロたちの新しい聖書解読を「検討する」という選択の道が開かれませんでした。ベレヤ人は、開きました。
もちろん、世の中には、危険なメッセージもあります。それには、耳を傾けない方が安全、というケースも多々あるでしょう。だが、聖書は2000年にわたって、世界最大の宗教を形成し続けてきた、歴史の雨風に打たれるなかで残ってきた古典です。信頼できます。
そして、上記の話からもわかりますように、人々の思考や態度に基底のところから多くの影響を与え続けています。聖書文化圏の人口が世界の30%で量的に最大というだけではありません。いま、この圏の文化が、世界をリードしています。指導的な国、人物の大半が、この文化圏から出ています。そして、国際化の波はとどまることなさそうです。
そうしたなかにあって、聖書の教えだと聞いても、聖書そのもので確かめない姿勢、ライフスタイルには、むしろ危険が大きいのです。今述べた「ニンニクの呪い」の知恵などは、創世記の4章をちょっと開けばすぐに確かめられる話なのです。上記の、宗教教団の危険も、聖書をちょっと開いて、確かめたら回避できた話なのです。
幸運にも、危険に巻き込まれなかった若者も、依然として、びくびくしながら暮らしていかねばならない事には、変わりないでしょう。しかも、これからますます、そういう時代になります。
@ @ @
聖書を開きましょう。ページを開けばいいのです。大冊で、どこを開けばいいかわからない、かもしれませんね。そういうときには「コンコルダンス」(聖句対照表)で、カインでもアベルでも引けばいいです。すると、その章が示されます。
書店にもありますし、インターネットに無料で引く事の出来る「コンコルダンス」もあります。
さあ、みなさん、「聖句(聖書の中の言葉)」そのものに触れましょう。恐れず、勇気を持って、ページを開きましょう。
「いつくしみ深き」讃美歌 312番
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<今週の説教>
(聖句)
「ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちより心が開けていた。彼らはパウロたちの話に熱心に耳を傾け、はたしてメッセージが真理であるかどうか、確かめようと、日々聖書の言葉を調べた」(使徒行伝、17章11節)
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「私は料理素材としてニンニクを使うことを薦めません。これは呪いの食物だと聖書にかかれているそうです。カインが弟を殺したとき、その血の流れた土地に生えてきた呪いの植物だと。それで、世界のベジタリアンにも、これを食べない人が多いそうです」
料理に長けたある女性から、こういう話を聞いたことがあります。春平太はちょうどそのとき聖書を持っていましたので、話が終わった後、「そんな記述は聖書にはありませんよ」と、お伝えしました。その箇所を読んで聞かせてさしあげました。
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カインとアベルは、アダムとイブの間に最初に生まれた男の子です。弟のアベルは「羊を飼う者となり、カインは土を耕す者になった」と聖書にはあります(創世記、4章2節)。それである時期に創主に献げものをするのですが、兄の献げものには創主は目を留められませんでした。理由は、収穫物の中の最良のものを献げなかったから、という主旨が記されています。
初子の中の、それも最良の羊を献げた弟アベルのものに創主が目を留められたのを「ねたんだ」アベルは、弟を殺します。それで、すんでいた土地を追い出され「エデンの東」、ノデの地に住み着いた、とあります。が、「弟の血が流れた土地から、にんにくが生えてきた」などという記述はありません。
おそらく、父、母のアダムとイブが、エデンの園で、創主に対して罪を犯したときに、「土地にイバラとアザミを生えさせる」という創主の言葉が出たことと、混同しているのでしょう。
だが、彼女によれば、このニンニクの話を本当だと思っている人は、結構いるそうです。どうしてそうなるのでしょうか。ここには、相応の信憑性を感じさせる話が仕掛けられています。一つは「世界のベジタリアンもニンニクは食べない」というメッセージです。「はたしてそうかな?」という気持ちを抱いても、そこにこういうメッセージをかませられると、「そうか、それならホントだろう」と簡単に信じ込む傾向が人にはあるのです。
もう一つは、「聖書にある」というメッセージでしょう。聖書というのは、それなりに、何か深い真理がかかれている、というイメージを人々に与えています。だから、「聖書に・・」と一発かまされると、人々はコロンと信じてしまいます。実際、こういうカマセでもって、大学生や大学院生や弁護士、医師までに自分の世界観を信じさせ、被害甚大な社会犯罪を犯させた宗教教団の教祖も、20世紀末の日本に出ています。
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では、こうした情報被害から身を守る方法はないでしょうか。あります。確かめればいいのです。世界のベジタリアンの食事嗜好を調べるのは大変ですが、聖書の記述を調べるのは、簡単です。本のページを開けばいいのです。たったそれだけのことです。
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上に掲げました今週の聖句、使徒行伝の一節には、そういう弊害から抜け出せていないテサロニケのユダヤ人と、抜け出せているベレヤのユダヤ人との対照が記されています。ユダヤ人は、旧約聖書をよく学んでいる民です。そこへパウロという使徒がきて、彼らが教わってきていない、新しい聖書解釈をメッセージしました。具体的には、旧約聖書をイエスのことを証言している本として、解説したのです。
すると、テサロニケの人は、「それが自分たちが教わってきていないものだ」というだけの理由で、話している者を襲いました。聖書に改めて当たるということなく、ただただ怒って、パウロたちを襲いました。
ベレヤの人たちは、「果たしてそう解読できるのか、と聖書の言葉そのものに改めて触れ始め」ました。この人たちの中から、パウロの話を真理だと判断する人が多く出た、と「使徒行伝」の著者ルカは記録しています。
しかし、信じたとか信じなかったとかいう結果をいう前に、大事なことがあります。テサロニケ人には、身の危険をも顧みず伝えようとしてきている、パウロたちの新しい聖書解読を「検討する」という選択の道が開かれませんでした。ベレヤ人は、開きました。
もちろん、世の中には、危険なメッセージもあります。それには、耳を傾けない方が安全、というケースも多々あるでしょう。だが、聖書は2000年にわたって、世界最大の宗教を形成し続けてきた、歴史の雨風に打たれるなかで残ってきた古典です。信頼できます。
そして、上記の話からもわかりますように、人々の思考や態度に基底のところから多くの影響を与え続けています。聖書文化圏の人口が世界の30%で量的に最大というだけではありません。いま、この圏の文化が、世界をリードしています。指導的な国、人物の大半が、この文化圏から出ています。そして、国際化の波はとどまることなさそうです。
そうしたなかにあって、聖書の教えだと聞いても、聖書そのもので確かめない姿勢、ライフスタイルには、むしろ危険が大きいのです。今述べた「ニンニクの呪い」の知恵などは、創世記の4章をちょっと開けばすぐに確かめられる話なのです。上記の、宗教教団の危険も、聖書をちょっと開いて、確かめたら回避できた話なのです。
幸運にも、危険に巻き込まれなかった若者も、依然として、びくびくしながら暮らしていかねばならない事には、変わりないでしょう。しかも、これからますます、そういう時代になります。
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聖書を開きましょう。ページを開けばいいのです。大冊で、どこを開けばいいかわからない、かもしれませんね。そういうときには「コンコルダンス」(聖句対照表)で、カインでもアベルでも引けばいいです。すると、その章が示されます。
書店にもありますし、インターネットに無料で引く事の出来る「コンコルダンス」もあります。
さあ、みなさん、「聖句(聖書の中の言葉)」そのものに触れましょう。恐れず、勇気を持って、ページを開きましょう。
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