世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教といわれます。
イスラム教の教典『コーラン』は、紀元後7世紀にマホメットが書いたものですが、それは聖書を使って、その論理を改造したものです。
そこにはアブラハムもモーセもイエスも出てきますが、そこで述べられる「アラーの神」は、聖書の神理念を頂いたものです。
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仏教はいまや複雑になっています。
現在では、「涅槃仏教」と「浄土仏教」の二種類になっているのです。
BC6世紀に、釈迦が創始した仏教は、涅槃仏教でした。
涅槃(ねはん)は、心の平安を意味しています。
釈迦は、すべてが死んでいく、この無常な物質世界に住む人間が、
できうる限り心の平安を維持して生涯を終えるにはどうしたらいいかを、
探求した方です。
その成果知識を、弟子たちが広めたのが涅槃仏教です。
そこには、神仏という超自然的存在とか、極楽浄土(天国)という概念など、存在しない。
思考上、出てくるはずがありません。
それが釈尊の教えた仏教で、仏教は本来そういうものでした。
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ところが、思想構造からしたら、対極ともいうべき浄土仏教が
いまや「私も仏教です」と鎮座ましましている。
一体どういうことか。
浄土仏教はどうして仏教に入ってきたのか。
これが日本人に、そして人類にも、明確に認識されていない。
聖書を知らないという理由が大きいからですが、いまこれを説明しましょう。
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浄土仏教は、釈尊よりずっとあとの、紀元後7~9世紀の、中国、唐に生まれています。
それは結論的に言うと、ネストリウス派キリスト教の教義を、仏教用語に置き換えた
、パロディー(模倣)宗教です。
唐の都、長安は自由な国際都市でした。
ここに入ってきたネストリウス派キリスト教は、主流派としてローマに陣取るカトリック派キリスト教によって、追放された一派です。
イエスに関する見解の相違から、異端とされ、追放され中国方面に宣教の道を求めたのです。
そこで展開されるキリスト教には、人間の創造神による救いと天国への希望が説かれていました。
これが多くの中国人に受け入れられ、教団は大繁盛しました。
これをみた、仏教(涅槃)僧侶たちは、これを仏教に取り入れたのです。
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取り入れる、といっても結局それは、仏教用語を応用しての、キリスト教の「言い換え」となります。
僧侶たちは、様々な言い換えを考案しました。
キリスト教の「天国」を「極楽浄土」に、悩みを「煩悩」に、平安を「涅槃」に言い換えたりしてね。
それら善導という有能な僧侶が総合しました。
こうして極楽浄土(天国の言い換え)に希望を抱く、浄土仏教が出来上がり、
それがまた成長を遂げました。
これによって仏教は、涅槃仏教と浄土仏教という複合体になったわけです。
紀元後7世紀のことです。
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キリスト教(聖書)の言い換えならば、万物の創造神概念は入ってきます。
浄土仏教もまた、聖書の神概念を頂いているのです。
(続きます)
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