今回の聖句はこれです。
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=聖句=
「まことにまことに諸君にいっておきます。
私を信じるものは、私がしているわざをするでしょう。
そればかりか、もっと大きいわざをするでしょう。
私が父のみもとに行くからです」(14章12節)
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12節には、また新しいテーマをイエスは述べています。
まず「私を信じる者は、私がなしているわざをするでしょう」です。
ここで信じる対象は、イエスの姿ではなく「言葉」です。
人の内に留まったその言葉が契機となって、意識の中に雰囲気実体(霊)が
生成している状態~~これが、ここでいう「信じる」です。
「そうなったら人は、いまイエスがしているのと同じわざをするんだよ」
とイエスはいっています。どういう論理でしょうか?
意識の中にイエスの霊が生成しているとは、
その分、イエスと同じ意識になるわけです。
するとその意識には創造主から放射されている「いのちエネルギー」が
イエスと同じように共鳴、吸収される。
それが力の源ですから、イエスがなすと同様な力あるわざをするようになる
という道理になります。
実際、後の「使徒行伝」には、弟子たちに癒しなど、
イエスが行ったような技が現れた状態が記録されています。
<真理はいつの時代にも「変わらざるもの」>
また、この際、「まことにまことに申し伝えます」というのは
「これから真理をいいますよ」という意味です。
これをわざわざ断っている。
聖書で真理は、「変わらざるもの」という意味です。
だから、「これから言うことは、何時までも変わらない鉄則として
存在し続けるんだよ」と言っていることになります。
つまり、それは、「今の時代にもその鉄則は通用するべきもの」
ということにもなります。
実際、現在でもベニーヒンという牧師にはその力が現れています。
かれほど有名でなくとも、癒しなどの力が現れている人は、たくさんいます。
<「イエスがなしたよりもっと大きなこと」とは>
イエスは続いて、「そして、その人はもっと偉大なこともする。」
と言っています。
ここは難しいですね。
そもそも「イエスがなしたことと比較する仕事」とはいったいなんでしょうか。
前述のベニーヒンは、こういうことをいっています。
The greatest miracle is salvation.(最大の奇跡は「救い」です)~と。
彼は、自分に現れたわざをテレビで放映する際に、これをよくいいます。
どういうことかというと~~。
「テレビ番組がこれから示す癒しなどは、
見た目ではセンセーショナルなことでしょう。
だけど、癒された人の肉体も100年もすれば死ぬのです。
だが、イエスを信じてその霊が救いを受けるというのは、永遠のことです。
霊は永続します。
これが救いを受けるというのは、肉体の癒しを遙かに超えた素晴らしいことです。
イエスを信ずることによる救いこそが最大の奇跡なのです」
~~ということです。
この救いを受けさせる人数で見ると、
それはイエスが地上にいて伝道しているよりも、
弟子たちが集団でもって働く方が、遙かたくさん出ます。
イエスが働いている間は、弟子たちはイエスに任せっきりで、
ついて歩いているだけです。だが「使徒行伝」を見てください。
イエスがいなくなると、弟子たちにもイエスがした癒しなどが現れます。
のみならず、その弟子から伝道を受けて信じた人々にもそれが現れる。
その結果、多人数で伝道することになります。
すると、イエス一人の時よりも遙か多くの人々の福音を信じさせることが出来ます。
救いを受けさせる人数で見ると、多数の働きは大きいのですね。
本日の聖句の最後、「私が父のみもとに行くからです」
については、次回にします。
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