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こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。
国教会制度をとっている英国に、次々に新教会が誕生します。
代表的なものには長老派教会もありますが、これは後にしましょう。
今回は、アングリカンチャーチ(the Angican Church・・・英国国教会)が宗教統制機能を失って、変質していく様をながめましょう。
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<国教会制度とは>
そもそも国教会制度とは「我が国の宗教はこれでいく、他は禁止」と国家の政権者が宣言し、維持する制度です。
他宗教を行うものは異端者として、火刑に処したりして厳しく取り締まる制度です。
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英国は中世時代にはカトリック教会を国教としてきました。
カトリックはこれまで見てきたように、宗教統制のプロ集団です。
英国に於いても、他宗教は禁止て、完全統制してきました。
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<ヘンリー8世の豪腕>
だが国王ヘンリー8世が、突然この教団を追放し、アングリカンチャーチに切り替えました。
突然のことですので、新教会はカトリックの模倣版でいくしかありませんでした。
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カトリックの教皇はイエス・キリストの代理人として絶対の権威をもって君臨していました。
ヘンリー国王はその教皇の役割を新しく、カンタベリー大司教に割り当てました。
ただし、国王はその認可権を自らの手に握りました。
そのぶん、カトリックとまったく同じというわけではありませんが、まあ、大変な権威を大司教に与えました。
司教、司祭にもカトリックと同じ権威を与えました。
英国教会はそうして始まったのですが、突然職位に着いた聖職者には、カトリック僧侶のように念入りな統制を実施する技術がありません。
英国での国教統制は、大幅に緩やかになってしまいました。
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<自由吟味者に覚醒される>
欧州大陸の自由吟味者たちは、 その情報をいち早く入手して、英国にどんどん移住してきました。
英国人民は自由吟味者たちの真摯で知的活性にあふれた活動を目にして、速やかに精神の覚醒を受けました。
影響されたのは人民に留まらなかった。
アングリカンチャーチの聖職者たちも覚醒されてしまいました。
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彼らの一部は改革ピューリタンとして国教会を内側から激しく揺さぶりました。
他の一部は分離派ピューリタンとして、勝手に国教会からの分離を宣言し独立行動をとっていきました。
またあるものはアングリカンチャーチは真の教会にあらずと、メソディスト教会を作り、
組合派教会を作り、長老派教会を作りました。
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国家教会はボクシングで言えば、棒立ちでボディーへ顔面へと乱打を受けている状態になりました。
これが続いて、英国の国教制度は塩のように解けていきました。
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<弾力的に対応する体質>
しかし、そうなっても英国教会は大木のように倒れることはなかった。
自分も上手に変化していって、存在し続けたのです。
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けれども英国の「国教」を意味する「アングリカン」の名は、もはや実態とかけ離れてしまいました。
すると、誰が作ったか新しい名が現れました。
「監督派」がそれです。
こういう事態は普通は起きません。
この弾力的というか,なし崩しに現実に対応していく姿に、筆者はとても英国的なものを感じます。
そしてそれを形成した土壌として、自由吟味活動を感じます。
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<監督派という名>
名前の由来を見ましょう。
「監督」は英語で(episcopacy)です。
これは初代教会時代の使徒の呼び名に発しています。
使徒たちは長老とか牧者とか監督とか呼ばれました。
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初代教会の使徒たち自身は、自分を特別な権威あるものとはしませんでした。
イエスは彼らに、教える立場になっても君臨するなと、有名な「最後の晩餐」で入念に戒めています。
すなわち、ここでイエスは彼ら一人一人の足を洗っている。
そして「先生である自分がこうしたのだから、これから先生になる諸君も奉仕する人になれ」と命じているのです。
(「ヨハネによる福音書」13章)
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そういうわけで使徒たち自身は君臨しなかったのですが、カトリックはそうではなかった。
彼らは、使徒の権威を職業聖職者の正当性イメージ形成のために用いました。
たとえば使徒ベテロを「教皇」の地位を作るのに使った。
彼らは使徒ペテロのリーダー的地位を、創造神によって与えられた「使徒座」としました。
そして、ここに座るのは教皇であり、そして歴代教皇はこの座を受け継いでいるのだとしました。
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また、そこから他の教職者にも権威を供給した。
司教を使徒の「監督」の権威を分与されている地位であるとした。
(なにやら日本で、本山の神社のお札をもらって支部神社を作っていくのに似てますね)
とにかくそうやって聖職者による独占的教会運営を正当化してきたわけです。
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アングリカンチャーチもカトリックの運営方式をそのまま受け継ぎました。
だが、その統制力は急速に空洞化しました。
これをみた人々から、エピスコパルチャーチ(監督派教会)との呼び名が現れたのではないでしょうか。
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その事情は、次のように推定されます。
プロテスタント教会では、教会運営には一般教会員も教会運営に関与するのが通常です。
牧師など教職者だけではない。
また組合派や長老派などは信徒だけの運営です。
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この中でアングリカンチャーチでは、聖職者が独占的に教会運営をしています。
その聖職者に,人々は初代教会の使徒たちのイメージを重ねたのではないでしょうか。
この「使徒たち」は初代教会ですから「監督たち」でした。
(これでいくと、カンターベリー大司教も司教も「監督たち」になります)
この概念を,人々は変質した英国教会に適用した。
それでエピスコパルチャーチ(監督派教会)と呼んだと思われます。
気分としては「えらい監督さんたちが独占的に運営してい教会」といったところだったでしょう。
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この教会では、今も聖職者を「監督」としてやっています。
そしていまでは、大規模プロテスタント教会の一つのようになっています。
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<聖公会>
ところが日本では、英国教会にもう一つ、聖公会という呼び名も出現しています。
こちらの方が監督派よりポピュラーになっています。
この名前が出たのは、おそらくこういうことでしょう。
当初はエピスコパル(Episcopal)を監督派と直訳した。
だけどこの邦訳語からは、日本人は具体的なイメージをさっぱり描けなかった。
せいぜいプロ野球球団の派閥争いでの、コーチ派に対抗する監督派くらいしかイメージできない。
そこで、もう少しましなものを、と「聖公会」を考えたのではないでしょうか。
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聖公会の名は「使徒信条」の中の「聖なる公同の教会」という語句からとったものでしょう。
だが「聖にして公同」というのはキリスト教会すべてに適用できるフレーズです。
一つの教会の特徴を示すにはあまりに意味が広く、アングリカンやエピスコパルの語とも全然繋がっていません。
こういう語しかつけられないところに、アングリカンチャーチの実体が流動的多面的でとらえどころのないものになっていることがうかがえます。
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<立教大学を創設>
この教団は他のプロテスタント教会と同じく海外宣教師も派遣しています。
明治維新後にキリスト教の禁教を解いた日本に来た聖公会の宣教師は、東京に立教大学の前身を設立しています。
福沢諭吉も聖公会の宣教師と家族ぐるみの交わりをしています。
もうプロテスタント教会とかわりありませんね。
この教会は現代米国にも沢山あります。
米国南部では、「アングリカンチャーチ」が通称のようです。
今回はここまでにしておきましょう。
(Vol.36 英国教会の国教権威、完全崩壊 完)
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