聖書に記されている言葉そのものを「聖句」といいます。
それを解釈した言葉を「教理」といいます。
教理は英語では、creed とか doctrine とかいいます。
聖句はscriptureないしはBible verseです。
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人は聖句を読むと、それが何を言っているのかを理解しようと欲します。
聖句には、啓示や出来事を個別的に記述したりする文が多いため、そのままでは理解がむずかしい。
そこで、その思想を「要約して」理解しようとします。
解釈してできた文が「教理」です。
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前掲したヨハネの福音書のなかの聖句~
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「創造神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書、3章16節)
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~は、その一例です。
これはヨハネ自身の聖句解釈で、教理(神学理論ともいう)です。
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だが、解釈(教理)はいろいろに出来ます。
これが絶対的に正しい、正統な解釈である、との判断は、人間には難しいです。
それを吟味するために、人は、もとになっている聖句にもどります。
聖句に照らし合わせて、吟味するわけです。
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そのとき、行き方がわかれます。
最終的な権威を聖句そのものに置く、というのがそのひとつです。
これが聖句主義です。
サザンバプテスト教会では、これをBiblicismといいます。
Biblic(聖句的)に『主義』を意味するismをくっつけた言葉です。
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「そんなことをしていたらいつまでたっても生活に活かすことは出来ない」
「教会運営のルールも定まらない』と、とにかく一つの解釈を正統と定めてやっていこう」
~という思想も生まれます。
これが教理主義です。
英語では、creedalismとかdoctrinismとかいいます。
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歴史的に見ると、世界最初の教会である『初代教会」では、聖句主義でした。
(続きます)
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