鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.30 英国国教会が海峡を越えて噴火

2016年06月04日 | キリスト教の正しい学び方







こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」本日も続けて参りましょう。

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今回から、教会の呼び名を変えなければなりません。

教会の運営方式は、基本的に二つあります。

一つは聖句自由吟味方式で、これは信徒個々人に聖句解釈の自由を与える方式です。

もう一つは教理統一方式で、こちらは教団本部が、「これは」唯一の正統な解釈だ」といって信徒に与え、これで活動を統一していく方式です。


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これまでの話では、教理統一方式をとる教会は一つだけでした。

だからその呼び名でよかったのですが、先回、その中にルター派教会が登場しました。

こうなるともう具体的な名称でないと、従来の教会も示せなくなります。

そこで、実名を登場させましょう。

もう、おわかりの読者も多いと思いますが、その名はカトリック教会です。

ルター派教会は、カトリック教会の中から産声を上げたのです。


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ルターの改革運動は、直接的にはルター派教会を出現させました。

だが、間接的には、海を隔てた島国に、もう一つの教会も成立させています。

英国国教会、短くは、英国教会、英語名ではアングリカン・チャーチがそれです。


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これも教理統一方式で活動する教会です。

こちらは、ルター派教会が正式にカトリック教団に承認される前に、出来ています。

アウクスブルクでの「宗教和議」で、カトリックた、ドイツ連邦国内でルター派がカトリックと同等に教会を開く権利を認めたのが1555年です。

英国教会が成立したのは、なんと1535年で、その二十年も前です。

だが、ルター戦争開始からは、20年近くが経っていました。


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こちらは、カトリック教団の承認など受けないで出現しています。

時の英国王、ヘンリー8世が一方的に設立した。

彼は、強引に英国教会を作り、 それまで英国でも国教教会だったカトリック教会に代えて、国教にしてしまったのです。








<離婚許可状が契機に>


直接の成立契機は、国王の離婚問題でした。

ヘンリー8世はスペイン王室からキャサリンという姫を王妃に迎えていたのですが、20年たっても男の世継ぎが生まれませんでした。

そこで国王は女王の侍女をしていたアン・ボレインという女性に生ませようとした。

だが、彼女は愛人としてではいやだと応じません。

やむなくヘンリーは王妃と離婚をしようとする。

だが、英国は伝統的にカトリック教会を国教としてきていましたから、ローマ教皇から離婚許可状をもらう必要がありました。

ところが申請しても認可状はきませんでした。

豪腕ヘンリー8世は、ならば国教を取り替えるだけのことと、イギリス国教会を作ってしまったのです。






<カトリック方式の英国版>


そういう事情ですから、運営方式はほぼカトリックのそれをスライドさせたものとなりました。

教会に教区を設け、人民を各々居住地の教会に所属させるのも、カトリック方式の踏襲です。

カトリックの法王に相当する存在も作った。

これをカンタベリー大司教とし、最終決定権を持たせました。





<大司教任免権は手中に置く>


けれども、国王はその任免権を、自らの手に保持しました。

すると、政治から宗教にわたって国王主導で統治できる体制が出来上がります。

こうしてヘンリー8世は、自らを絶対権者とする、絶対王制を確立したのでした。






<シェークスピアは追放されたカトリック聖職者か?>


英国でのカトリック教会の聖職者は、突然解雇され追放されました。

失業保険も何もありません。

余談ですが~

彼らの一グループがが生計を立てるために、ストラスフォードにある劇場の座付き作者になった。

その際、彼らはシェークスピアという実在の人物を表にたて、彼の作として名作を発表していった、

~という説にはかなりな根拠があります。

作品に、聖書の思想を深く知っていなければ書けないような事柄が多いのです。




<ドイツの抗議エネルギーが英国で噴火>

話を戻します。

当時英国は、島国の田舎国でした。

カトリックが軍隊を送れば、容易に潰せる中小国家でした。

ところが、カトリックはそれが出来なかった。

スペイン、フランスの大軍は、ルター戦争で、ドイツに釘付けにされていたのです。

ヘンリー8世は、当然それをも読んで行動を起こしたのでしょう。

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だが、遠因もあった。

ヘンリー8世は、それまでにも、ドイツで起きている新事態の情報を得てきていました。

欧州一円支配者の強大な権力に反抗する戦争が20年にもわたって続いてきている。

この情報によって欧州世界の空気の変化を、彼はあらかじめ察知してきていました。

それが、彼の決断の背景にあったにちがいありません。

その意味で、ルターのプロテスト(抗議)エネルギーは、英国教会を噴火させたといえるでしょう。




<宗教統制の緩い国が出現>


新国教会には、僧侶が新しく任命されました。

これらの新僧侶には、カトリック僧侶のような厳密かつ執拗な宗教統制の技量はなかった。

統制のプロがいなくなった英国では、自由吟味者への攻撃も緩くなりました。

(それでも自由吟味者の火刑はあったようですが、頻度はきわめて少なかった)

こういう空間が、ルター戦争の真っ最中、戦が決着する20年も前に、海峡を隔てた島国に出現した。


これがまた欧州に新たな事態を、将棋倒し的に引き起こしていきます。




(Vol.30 英国国教会が海峡を越えて噴火   完)









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