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こんにちわ。
三連休もあけた2016年1月12日、「信じれば救われる」の物理的理解、ようやっと大団円となります。
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これまでわたくしは、量子力学の思想を援用して次のようなことを見出してきました~。
・物質は認識されると影響され変化する。
・それは、物質の根源がエネルギー波動の凝集体だからであり、かつ、
人の精神活動の源もまた、エネルギー波動体であるからだ。
・その変化は、「認識のされ方」によっても、異なるに違いない。
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<ソシュール記号論>
今回は、言葉について、それが量子であるといえるかどうかを考えます。
それには、記号論と呼ばれる学問知識が助けになります。
記号論は、フェルディナンド・ド・ソシュールというフランスの認識哲学者によって、19世紀に創始され、20世紀前半に広く知られるようになりました。
彼のいう記号は、言語だけでなく、音楽や絵画・彫刻など造形的なものをも含めています。
だが、彼はその思索を、ほとんどもっぱら言語記号を直接の経験的手がかり(素材)として、進めました。
その言語記号に関する理論を援用しましょう。
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<言葉は信号と意味の結合体>
ソシュールは言語を「信号と意味を持つ記号」ととらえます。
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「信号」は、それでもって我々に他の記号と識別させてくれる個性的な信号です。
単語で言えば「イ・エ・ス」という音声や文字などがそれでしょう。
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「意味」とは、その信号を受信すると「連想するイメージ」と解しておきましょう。
単語で言えば、たとえば「イ・エ・ス」という音声信号を受信すると、人は様々なイメージを心の中で連想します。
イエスが教え始めた当時には、人々は「ナザレの若者」、「旧約聖書の新解釈を教える男」、
「教えるに際して驚異的な奇跡を見せる人物」等々を連想したでしょう。
<文章>
文章もまた言語記号です。
それは単語が組み合わさってできたものです。
文章の信号は、単語の信号が複数組み合わさった信号の連鎖体だといえます。
文章の意味は、単語の意味を組み合わせた、意味の連鎖体です。
<ソシュールは言語を実体としてとらえた>
ソシュールの画期的なところは、言語を信号と意味が結合した「一つの実体として」認識したところです。
人類は従来そうではありませんでした。
音は音、文字は文字として独立にとらえ、それに対応して心に思うものは「概念として独立に」とらえました。
ギリシャ哲学以来、言葉は、概念論でもって考察されました。
それは人の心にイメージされるもので、物質のような実体ではない、と考えられてきました。
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ところが、ソシュールは言語を、信号と意味を併せ持った一つの「生き物のような実体」ととらえました。
するとそれは量子力学とのつながりを持ってくるのです。
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<言葉もまた量子>
ソシュールのいう信号は「人の注意を引く力」を持っています。
「イ・エ・ス」という音声信号は、受信する人に「え?」「なに?」という注意を起こさせます。
またそれは同時に、信号の受信者に、その記号のもつ意味内容を「思わせる」力をも持っています。
イエスという信号は「ナザレの若者」だなあ、「旧約聖書の新解釈を教える男」だ。
「教えるに際して驚異的な奇跡を見せた」等々の「意味の思い」を誘発します。
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量子力学では、そうした力はすなわちエネルギー波動です。
そしてエネルギー波動を持つものは量子です。
言葉はエネルギーを内包した量子という実体なのです。
その属性においては物質と同列の存在なのです。
<文字は持続性を増した量子>
また、口から発声される言葉は文字にもできます。
文字になればそれは、たとえば、紙の上に定着して、持続するでしょう。
するとその力も持続します。
言語は信号が文字になると、持続性が増した量子になるのです。
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<認識されると変化する>
持続性の大小はあれども、ソシュール記号論を援用すると言語は量子となります。
量子であれば、それは、光子と同じく、人に認識されることによって影響を受け、変化するはずです。
そして、その変化の仕方は、認識のされ方によっても、異なってくるでしょう。
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<「信じる」は認識の一方法>
さて、いよいよ「信じる」について考えるところに来ました。
そもそも信じるとはどういうことでしょうか。
それは、認識活動であり、認識の一方法です。
「信じる」は、言語記号の「意味」を「肯定的に」認識する精神活動です。
イエスの「私の死は人類の罪の代償になる」という言葉についていえば、それを肯定的に認識する精神活動が「信じる」です。
そしてイエスが「信じればそのようになる」というのは、その信じるという認識活動が、イエスの言葉に影響を与えることになる、言っていることになる。
肯定的に認識すれば、わたしのその言葉は、「あなたの罪の代償になるように働くよ」というのです。
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人間は、イエスのその言葉を「否定的に」認識することも出来ます。
「そんなこと信じないよ」というのは、そういう精神活動をしているのです。
そういう認識波動を発すれば、それはイエスの言葉に、別の影響を与えることになるでしょう。
具体的にはどうなるか。
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<聖句の示唆>
それに繋がっていそうな言葉(聖句)が、キリスト教の教典『聖書』のなかにあります。
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「私を拒み、私の言うことを受け入れない者には、その人を裁くものがある。
私が話した言葉が、終わりの日にその人を裁くのだ」
(『新約聖書』 ヨハネによる福音書、12章58節)
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~イエスの言葉です。
筆者は告白しますが、この~
「(イエスの口から出た約束の)言葉を受け入れない人には、その言葉が〔終わりの日に)裁く」
~という聖句の意味が、ずーとわかりませんでした。
「言葉が裁く」とは、何を言ってるんだ?
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けれども、量子力学の思想をかじることによって、わかってきました。
~イエスが語った言葉は、量子という実体になっている。
それは肯定的な認識エネルギーを受ければ、相応に変質する。
否定的な認識エネルギーを受ければ、それに影響されて、また別の変質をする。
二つの変化は、別物になる。
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否定的に認識した人には、その言語量子体は相応に変質して、「終わりの日」(「最後の審判」のとき)に有罪判決をくだす。
判断のルールとしてでなく、あたかも人格を持った意識体であるかのように活動して、有罪の裁きを下す。
~こう理解できるようになりました。
(これが真理なら、イエスの時代にたまたまイエスが宣教する場面に出っくわし、
「笑わせるな・・・」とつぶやく羽目になった人は、ホントに不運だなぁ~)
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ついでながら、「肯定的に認識した人」には、この言葉はどうなるのでしょうね。
こんな感じかな・・・。
~肯定的な認識のエネルギー波動を受けると、その量子群(イエスの言葉)は、言葉通りに働く強力な量子群となって活動するだろう、と。
ともあれ、このように、意味不明だったイエスの言葉にも、明確な理解ができるようになりました。
私の個人的一理解ですけどね。
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量子力学の思想によって、物理学的に理解できるようになる聖句は、他にもあります。
だが、本日は、このへんで話を区切ることにしましょう。
(「キリスト教の正しい学び方」 第8回 完)
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