又吉栄喜の小説を崔洋一が映画化した『豚の報い』(1999年)は、「真謝島」という主人公の故郷が舞台となっているが、ロケは久高島で行われている。数年前に観たのだが、あまりの汚さと淫猥さに辟易して途中でやめた。小説では面白くても、映画になると生々しすぎるのだった。しかし、今日は途中でやめなかった。
沖縄本島のスナックで主人公の男が酒を飲んでいると、トラックから逃げ出した豚が闖入する。その騒ぎで、ホステスがマブイ(魂)を落としてしまう。そのホステスも、他の2人のホステスも、それぞれ個人的な業や罪の意識を背負って屈折している。それで一緒に、「真謝島」の御嶽に御願に行こうということになる。ところが、宿泊した宿で食べた豚が原因で、皆ひどい下痢に襲われる。主人公の目的は、風葬された父の遺骨を拾いにくることだった。そして、突然、石や砂や塩で、個人的な御嶽を作る行動に出る。 そんな勝手につくった御嶽に効き目があるのかと問うホステスたちに対し、男は、「いまの御嶽も誰かがはじめたんだ」と答える。そのような、個人の心と行動へのフィードバックがとても面白い。
「「ママ、スコップを見ただろう?父の遺骨があったから御嶽を造ってきたんだ。俺は自分を救うのが精一杯だ。・・・・・・この島には本物の御嶽がたくさんあるから、申しわけないけど、あなたたちのいいようにしてください」 「・・・・・・私は正吉さんの御嶽を信じるわ。淋しくなった人が巡拝する場所よ」と和歌子が力強く言った。「信じない人は帰って。私ははるばる救われに来たのだから」」
又吉栄喜『豚の報い』より
登場人物たちが映画で宿泊する民宿は、私も泊まった、強烈な「ニライ荘」だ。何が強烈かというと、以下省略。いまでは昔からの「ニライ荘」や「西銘荘」に加え、新たな民宿やコミュニティセンターでも泊まることができるようだが、じつは「ニライ荘」にはもう一度泊まりたいと思っている。
映画には、家々や宿のほかに、船が着く徳仁港、墓地、日を遮るものが何もない道、モンパノキなどの植物群落などが現れる。エログロは我慢するとして、久高島のいまの風景を観ることができる。
家々とニライ荘(映画では「まじゃ荘」)
又吉栄喜『豚の報い』(文春文庫、1995年)