浦島悦子『島の未来へ 沖縄・名護からのたより』(インパクト出版会、2008年)は、この2年ほどの辺野古(沖縄県名護市)や高江(沖縄県東村)における、大きな暴力への抵抗の記録である。『インパクション』の連載を中心に、『週刊金曜日』などへの寄稿を加えてまとめられている。
オビには「反対運動・・・」とあるが、著者の意図は、きっと括弧付きの「運動」ではなく、市民として発する声の延長にあるようにおもえる。それらの間のギャップこそ、再軍備を目的とした暴力のあまりの大きさを示している。
著者が応援した選挙としては、名護市において基地に反対の意を示した住民投票(1997年)に蓋をすべく、国からの圧力により基地受け入れを表明して退陣した比嘉市長の後を受けた岸本市長の第一期後の選挙(2002年)、そして第二期後の選挙(2006年)、さらに仲井眞現知事が糸数慶子候補(現・参議院議員)に勝った沖縄県知事選(2006年)が挙げられている。そのいずれも、基地に反対を表明している候補が敗れている。そこには民意と選挙とのねじれや有権者の諦念があるようだ。さらには、カネや間接的な圧力(これこそが、大きな暴力のひとつに他ならない)が、あからさまに使われた。
著者によれば、そのような組織的な圧力を示すものが、期日前の投票だという。2006年の名護市長選挙のすぐ後に行われた名護市議会議員選挙では25%以上、知事選では11%もの投票が、会社の送迎車などで大量動員され、個々の意志を示すことができないまま、大量票となっているというのである。こうなれば、投票率を上げるための方法なのか何なのかわからなくなる。
辺野古近辺にカネが流れている具体例も凄い。国の9割補助により、6つの立派な公民館が建設されている。そしてこれは、実は公民館ではなく、「地区会館」という名称であり、所有権は区ではなく名護市にある。住民自治が疎かにされ、「カネに物を言わす」典型的な手法である。
著者はそれでも言う。
「海兵隊のグァム移転は米軍の戦略的移転に過ぎず、実戦部隊は沖縄に残るため基地被害は減らないだろうと予想されているし、中南部の老朽基地返還は、名護への基地新設=北部の軍事要塞化という米軍にとって最高においしいものを得るための厄介者払いに過ぎない。沖縄ではあたりまえのこんな認識を、声を大にして言わなければならないのかと思うと、疲れてしまいそうだが、やはり言い続けなければならないのだろう。」
辺野古や高江での動向について、あらためて当事者の声を通じて振り返ってみると、本当に腹が立ってくる。もちろん住民の方々やより積極的に関わっている内外の方々にとってみれば、そんなものではすまないことは明らかだ。大きな暴力に抗するためには、環境影響評価のでたらめさ、基地被害の原因、基地の存在が意味すること、あまりに不公平でいびつな政治の姿など、その暴力の包装紙を剥ぎ続けることが、(小田実ふうに言えば)小さな人間が行うことができる行動なのかとおもえる。