NHK「BS世界のドキュメンタリー」枠で、チリ・ピノチェト政権の大量虐殺を追ったドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事~チリ軍事政権の闇~』(米West Wind Production、2007年)が放送された。それを観がてら、G・ガルシア・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書、1986年)を再読した。
本書は、ピノチェト独裁が続く80年代に、チリのドキュメンタリー映画を撮ろうとチリに帰国するミゲル・リティン監督の語りの形を取っている。リティンは反体制側であったから、当時のチリ政府のブラックリストに載せられており、故郷とはいえ入国が発覚すると逮捕されることは確実だった。そのあたりの不安な心情を、マルケスは軽妙とも言える筆致で描いている。(マルケスはかつてジャーナリストでもあったのだが、それにしても、あの『族長の秋』や『百年の孤独』を書いた人物と同一とは驚くべきことだ。)
半ば冒険小説のような出来であるからすいすい読めるものだが、しかし、監視されて下手なことを言うことができない社会の様子が感じられる。そして、中南米の他の国と同様に、米国寄りの政権がIMFからの融資を受け、見返りの新自由主義化と一部の肥え太りがなされたことの指摘もなされている。
「輸入はわずか五年間のうちに過去二〇〇年間の総額を上回ったが、それが出来たのは国立銀行の国営企業売却金で保証されたドル建ての信用のためであった。残りはアメリカ合衆国と国際信用機関の共犯によるものであった。だが、いざ代金を支払う段になると、その牙があらわれた。六―七年の幻想が一気に崩壊したのである。チリの対外債務はアジェンデの最後の年には四〇億ドルであったものが、今日ではほぼ二三〇億ドルにも達している。この一九〇億ドルの浪費の社会的犠牲がいかなるものであったかを知るには、マポーチョ川の大衆市場を少し歩いてみるだけでよい。つまるところ、軍事政権の奇跡はほんの一握りの金持ちをますます肥やし、その他のチリの国民をますます貧困の奈落に陥れたのであった。」
これが遠い国の昔の出来事であったと考えるひとは、今後も日本社会の崩壊に向けて、間接的に手を貸し続ける可能性があるだろう。「9.11」は、ピノチェトがアジェンデを葬った1973年9月11日のことでもあり、ニューヨークのそれとセットで視なければなるまい。マルケスは、第二の「9.11」を目にして何を考えただろう。
ところで面白くおもったのは、リティンが入国に際して不安を抑えるために読んでいたのが、アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』(1953年)だということだった。キューバの作家、密林の遡上という点から、単純にゲバラやカストロのことを想起してしまうが、リディンが愛読した理由はいかに。本書の解説によると、マルケス自身は、ピノチェトに対する曖昧な態度ゆえマリオ・バルガス・リョサを、社会主義に対する防波堤として軍事政権を評価したとしてホルヘ・ルイス・ボルヘスを批判していたようだが、カルペンティエルとの接点はどうだったのだろうか。
『将軍を追いつめた判事~チリ軍事政権の闇~』(>> 前編、後編)は、ピノチェトによる犠牲者からの告訴を受け、ピノチェト政権による犯罪の証拠を集めていくグスマン判事を追っている。拷問、暗殺などいかなる残虐な犯罪が軍ぐるみでなされていたか、その様子がドキュメンタリーの中心だった。判決が下される前にピノチェトは死に、その直前にピノチェトに殺された父を持つバチェレ大統領が就任するところで締めくくられる。
ピノチェトが死んだ際、支持者たちが集まり、「ざまあみろ、お前達は彼に判決を下せなかったんだ」と叫ぶ様子がある。グスマン判事はそれに対し、「彼らはピノチェトがしてきたことなどどうでもよかったのです」、とショックを隠せない。内奥を見ようとしないナショナリストたち、と言ってしまえばそれだけの話なのだろうが・・・。
このドキュを含め、ブラジル・ルーラ政権、ベネズエラ・チャベス政権、ボリビア・モラレス政権のドキュが同じ枠で放送された。再放送は17日からの午前中にもあるようだ(私もルーラを撮りそこねたので助かる。モラレスのドキュだけは、去年放送された「NHK33ヵ国共同制作 民主主義」のひとつである。)(>> リンク)