浦安市郷土博物館で開かれている特別展『三角州上にできた2つの漁師町 名古屋市下之一色と浦安』に足を運んだ。この展示の立ち上げに関わった研究者のTさんにご案内をいただいていて、多忙にかまけていたらもう終了間際。2階の展示室に入ると、そのTさんがいて吃驚した(笑)。
タイトルの通り、名古屋の下之一色(しものいっしき)も浦安も、内湾に注ぐ河川の下流にできた三角州の上に発展してきた地である。そしてそれぞれ、藤前干潟、三番瀬という大規模な干潟を持ち、その一部のみが埋立を免れて残されている点も共通している。とても興味深い視点である。
展示は、それぞれの地における生活形態や漁法の共通点と違いに注力したものとなっていた。初めて知る話がいくつもある。
○下之一色には、素足でハマグリなどの貝を探し当て、足の親指と人差し指とでつかみ取る「踏み取り」という漁法(!)があった。浦安には、山本周五郎『青べか物語』に描かれているような、カレイをかかとで踏む漁法があったはずだが、どちらも過激である。
○下之一色では天然の牡蠣がたくさんとれた。浦安の三番瀬にも牡蠣がいて、現在では不自然な牡蠣礁まで形成されているが、どうやら浦安の牡蠣は不味かったらしい。パンフレットには「身が小さくデレっとしていて、美味しいものではなかったから、とる人もほとんどいなかったよ。『ハナタレ(洟垂れ)』とかって、言ったりしたよね」という証言がある。漁師町の言葉は荒っぽい。
○下之一色では、貝殻を洗浄して鬢付油や軟膏の容器として使う「さらし貝」が製造されていた。自家利用ではなく商品である(!)。浦安にはなかったと言われていたが、実は、「カラヤ」という加工業者がいたという証言が出てきた。
○浦安では、本州製紙江戸川工場からの廃水が大きな被害をもたらした歴史があるが、一方、下之一色の上流にも王子製紙春日井工場があり、江戸川に先だって「黒い水」を流していた。この責任者たちが本州製紙江戸川工場にも移ってきたことがわかっている。つまり、江戸川の垂れ流しは確信犯であった。
展示室の隣では、1960年における下之一色の映像を観ることができた。名古屋市の製作によるものであり、焼玉エンジンの舟やワタリガニの漁などが印象的だった。こういった貴重な映像は、ぜひ「科学映像館」などで配信してほしい。
展示については、敢えて言えば、三番瀬と藤前干潟との比較にも踏み込んでほしかったところ。Tさんと1階の喫茶「すてんぱれ」で雑談をして帰った。
フラワー通りにある「天哲」で天丼を食べた。甘いタレ。
●参照
○浦安市郷土博物館『海苔へのおもい』
○ハマん記憶を明日へ 浦安「黒い水事件」のオーラルヒストリー
○浦安魚市場(1)~(15)
●東京湾の干潟(三番瀬、盤洲干潟・小櫃川河口、新浜湖干潟、江戸川放水路)
○市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
○日韓NGO湿地フォーラム
○三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
○三番瀬の海苔
○三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
○三番瀬(5) 『海辺再生』
○猫実川河口
○三番瀬(4) 子どもと塩づくり
○三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
○三番瀬(2) 観察会
○三番瀬(1) 観察会
○『青べか物語』は面白い
○Elmar 90mmF4.0で撮る妙典公園
○江戸川放水路の泥干潟
○井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
○盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
○新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
○谷津干潟