『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』(喜多條忠・編、実業之日本社、2011年)を読む。1年前の急逝後、CDが再発されたり、このような本が出たりと、浅川マキが突如として歴史と化してしまった。リアルタイムでなくなってはじめてその存在価値を思い知らされる、しかしそれは寂しいことでもある。自分だって何年も年末の新宿ピットインに通わないでいた。
自分が浅川マキのライヴにはじめて足を運んだのは1995年か96年。文芸坐ル・ピリエが壊される最後の年にも駆けつけたが、それ以外は新宿ピットインばかりである。しかし、ここに文章を寄せている面々はそんなものではない、1968年の新宿「蠍座」公演から見続けていたりする。「時代」であるから、その時代を生きた者としての極めて個人的な思い出話で満たされている。運動、恋愛、貧乏、酒、そんな無数の極私に浅川マキが必要とされたことがよくわかる。読んでいると何だか沁みてくる。何で自分は最後のピットインに行かなかったんだろう、馬鹿だな。
「とにかく一々懐かしいことばっかり思い出す。」奥成達
「振り返ると、とりかえしのつかないことばかり。」立花珠樹
「残酷ないいかたをすれば、プチブルの顔で死んでいないブルースだ。」平岡正明
「そこへ浅川マキのあの声が流れてきた。それはまさに腑抜け的な腑の落ち方だった。浅川マキの「夜が明けたら」。あぁ、人生は長いのだ。」最首悟
「マキの歌は、多情多恨の歌である。」森詠
「そんな生き方なんて簡単に変えられない。」田村仁
浅川マキと山内テツ(2002年) Canon IVSb改、Canon 50mmF1.8開放、スぺリア1600
●参照
○浅川マキ『幻の男たち』 1984年の映像
○『恐怖劇場アンバランス』の「夜が明けたら」、浅川マキ
○浅川マキが亡くなった
○浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
○浅川マキ DARKNESS完結
○ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
○オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
○浅川マキ『闇の中に置き去りにして』