Sightsong

自縄自縛日記

スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』

2011-09-18 19:02:20 | 南アジア

スリランカのシンハラ映画においてはレスター・ジェームス・ピーリスが最も高名である。しかし、これまで限られた映画祭などでしか観る機会がなく、1本も観ることができないでいた。Youtubeでもごくわずかのフッテージだけしか配信していない状況だったのだが、最近、映画全編がアップされていた。そのひとつが『ジャングルの村』(Baddegama - Village in the Jungle)(1980年)である。


佐藤忠男『映画で世界を愛せるか』(岩波新書)より


杉本良男編『もっと知りたいスリランカ』(弘文堂)より

スリランカ南部のジャングルに位置する村。ジャングルで狩猟をして暮らしてきた男、その妹、ふたりの娘。彼の亡くなった妻は村長の妹であり、男の子を産まないがために虐待したと村長には恨まれている。その村長と一緒に暮らす甥が、男の娘に恋をして結婚する。もうひとりの娘は、近くの邪悪な老人の求婚を拒み、そのために老人により悪魔憑きとのデマを流され、その挙句、殺されてしまう。ある日金持ちの男が越してきて、村長と結託し、男の土地も娘も奪おうとする。裁判にも負けた男は銃を手に、村長と金持ちのもとに向かう。

ジャングルの自然、登場人物たちの人間くささ、精霊信仰と悪魔の仮面、都市と農村の格差などが描かれていて、熟練さえも感じさせる。やはりピーリスは匠であることを確認できた。

ところで、金持ちの男はフェルナンドという。ポルトガル統治時代から続いてきた混血の名残であるといい、その彼がオカネと都市を体現しているように描写されているのは面白い(ジャケットに下はサロン、髪をなでつけており、いかにも、である)。彼は男たちを騙そうとして、「コロンボは美しい街だった。蛇も、象も、虎も、熊もいない。道路にはヨーロッパの女性がいる。」などと嘯くのである。

映画の冒頭と後半の裁判のシーンには、裁判官として、故アーサー・C・クラークが登場する。コロンボ7に住み、スリランカでは知らぬ者のないほどの存在であったが、鬼籍に入ってしばらく経った今、どうなっているだろう。

ピーリスのシンハラ映画史における功績は、『運命の糸』(1956年)において、撮影をスタジオから屋外(しかも村)に追い出し、大袈裟な演技を排し、素人の村人も登場させるといった自然主義リアリズムを導入したことにあるという。そしてこの『ジャングルの村』は、1982年に日本でも公開されている(杉本良男編『もっと知りたいスリランカ』)。もう92歳だが、2007年にも新作を撮っているらしい。

>> レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』

●参照
スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ
スリランカの映像(2) リゾートの島へ
スリランカの映像(3) テレビ番組いくつか
スリランカの映像(4) 木下恵介『スリランカの愛と別れ』
スリランカの映像(5) プラサンナ・ヴィターナゲー『満月の日の死』
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』
スリランカの映像(7) 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』、『シーギリヤのカッサパ』


アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』

2011-09-18 13:24:27 | ヨーロッパ

アラン・レネ『去年マリエンバートで』(1961年)を観る。有名な作品ながら初見である。

ヨーロッパの古いホテル。感情を可能な限り押し殺した人びと。囁きと舐めるようなカメラとによって、過去の記憶と現在の挙動が交錯する。確かにメソドロジーで言えば明快なのかもしれない。少なくとも、今や公開当時とは違って、難解だと騒ぐほどの映画でもない。(要はあまり好みではないのです。ああ!マルグリッド・デュラス『インディア・ソング』を思い出した)

併せて、もっと前にレネが撮った短編ドキュメンタリー『夜と霧』(1955年)を観る。学生時代に、荻窪だったかどこだったか、中央線沿線の小屋のような「シネマシオン」で観て以来だ。言うまでもなく、ナチスのホロコーストについての映画である。

改めて『去年・・・』と続けて観ると、感情を押し隠して舐めるように撮るカメラ、やはり能う限り静かに語ろうとする声、過去と現在との往還など、全く異なる映画のようでいて実は共通する側面があることに気付く。戦争は終わっていない、近くの叫び声に耳を傾けようとしないだけだ、との最後のメッセージが作品の価値を高めている。良いドキュメンタリーだ。

●参照
『縞模様のパジャマの少年』
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ


2011年9月、デカン高原北部のユーカリとかレンガ工場とか

2011-09-18 08:46:30 | 南アジア

故あってヴァーラーナシー(ベナレス)から車で片道5-6時間の移動をした(というか、それが目的でヴァーラーナシーに立ち寄ったのだが)。デカン高原北部ウッタル・プラデーシュ州の南東部である。

6年前に来たときには、道の真ん中にクレーターのような大穴があると驚いたものだが、状況はさほど変わってはいない。悪路また悪路、人と犬と牛、そして途中に大きなセメント工場があるためにトラックが行列をなしてゆっくり進んでいる。居眠りをすると頭を打ち付けてしまう。従って、いかに悪路でないところでスピードを出し、どれだけのトラックを追い越すかによって、移動の速さが決まってくる。発展にインフラ整備が追いついていない印象が強い。勿論、大都市の域内だけでなく道路がきっちり整備されているところはあって、去年はデカン高原南部を7時間以上移動しても苦にならなかった。

ガンガーに架けられた大きな橋を渡り、ごみごみしたエリアを脱出してしばらくすると、いろいろな風景が現れる。広い水田の中に赤や橙の鮮やかなサリー姿の女性がいる。ユーカリばかりの地域。レンガ工場が林立する地域では、ツチノコが立ちあがったようなずんぐりした煙突がそこかしこに見える。山道からの眺望。

去年デカン高原南部で見た風景は、巨大な岩が積み上がった奇怪な山々やひまわり畑だった。やはりこれだけ広いと、どこを見て語っても「群盲象を評す」を体現する結果になってしまう。これもインド発祥の言葉であるらしい。


デカン高原北部のユーカリと小屋と牛 Pentax LX、AM TOPCOR 55mmF1.7、FUJI PRO 400

道路のあちこちには、当然、食べ物の屋台や小屋がある。

オリッサ州。同行者がサモサを食おうと言って停まったところにはサモサはなく、バラという名前の豆や芋の揚げ物をつまんだ。別の場所には、やたらと甘い菓子のセナガチャというものがあった。


バラ (コンデジで撮影)


セナガチャ (コンデジで撮影)

この時期はちょうどムンバイでガネーシャ祭をやっていたばかりで、その影響が北部や東部にもあるのか、あちこちで大きなガネーシャを担ぎだし、スピーカーから大音量の音楽を流し、夜になろうというのに大勢が騒いでいた。

>> オリッサ州、車窓から(動画) 

参照
2011年9月、ヴァーラーナシーの雑踏
2011年9月、ヴァーラーナシー、ガンガーと狭い路地
2011年9月、ベンガル湾とプリーのガネーシャ
2011年9月、コナーラクのスーリヤ寺院
2011年9月、ブバネーシュワル
2010年10月、デカン高原
2010年10月、バンガロール
ジャマー・マスジッドの子ども
2010年10月、デリー
2010年9月、ムンバイ、デリー
2010年9月、アフマダーバード
PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク
荒松雄『インドとまじわる』