ロベルト・ロッセリーニ『アモーレ』(1948年)を観る。ブックオフで250円だった。
学生時代以来、20年ぶりくらいである。その頃は巨匠の作品や名画と呼ばれる作品でも、なかなかレンタルビデオでも見つけることができず、まめに「ぴあ」をチェックしたり、わざわざ音羽にあった文芸坐直営のレンタルビデオ店まで原付で借りに行ったりと苦労した。それが今では、マルクス兄弟であろうと、ジャン・ルノワールの米国時代のマイナー作品であろうと、廉価なDVDが出回っている。悲しいような嬉しいような複雑な気分だ。
この映画は、不世出の女優、アンナ・マニャーニの顔のための映画である。それはもう、視線を逸らしたくなるほど直接的で、恥などを超えたあからさまな顔世界なのである。
2話構成の第1話「人間の声」は、電話で別れ話をするマニャーニの独り舞台だ。30分もの間、マニャーニの顔は悲しみと怒りと絶望とで醜く歪み、それゆえの美しさを見せる。圧倒的な独演である。第2話「奇跡」では、若き日のフェデリコ・フェリーニや村人たちが登場するものの、マニャーニ独演の構図は変わらない。怖ろしい女優だったのだな。それにしても、岩山にへばりつく石の家々や階段はどこで撮られたものだろう。イタリア南部か、地中海の島か。
ロッセリーニについて言えば、『無防備都市』(1945年)、『戦火のかなた』(1946年)、『ドイツ零年』(1947年)に続いて撮られた作品であり、マニャーニとの私的な関係の集大成であったのかも知れない。翌年の『ストロンボリ、神の土地』(1949年)では、イングリッド・バーグマンを主役に起用している。有名なスキャンダルの時期である。これにより、ロッセリーニとマニャーニとの関係は破れる。