Sightsong

自縄自縛日記

サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Porttait』

2012-01-01 17:57:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

昨年末、2011年12月26日に、肺炎のため88歳で亡くなったサム・リヴァースをしのんで、ルーツ(ROOTS)というグループでのライヴヴィデオ『Salute to the Saxophone』(Brewhouse Jazz、1992年)を棚から出してきた。いまではDVD版もあるようだが、私のものはもう何年も前に入手したVHS版である。

Arthur Blythe (as)
Chico Freeman (ts, ss)
Sam Rivers (ts, ss)
Nathan Davis (as, ts, ss)
Don Pullen (p)
Santi Debriano (b)
Idris Muhammad (ds)

フロント、リズムともにオールスターと言うべき面々だが、実際の印象は「昔の名前で出ています」に近い。

「Never, Always」はチコ・フリーマンのオリジナルであり、デビュー盤『Morning Prayer』(1976年)では「Like the Kind of Peace It Is」という曲だった。これを何故だか腰砕けのスローテンポで演奏し、チコのソロは冴えない。チャーリー・パーカーの曲「Parker's Mood」では、アーサー・ブライスのアルトがフィーチャーされるが、ペラペラ感はいつもの通り(好きな向きもあろうが)。そしてスタンダード「Body and Soul」では、ようやくサム・リヴァースの長い異空間ソロを聴くことができる。ヴォン・フリーマンのブルース「After Dark」は、勿論息子のチコをフィーチャーしており、チコも背伸びしてシャギーな感じの汚れた音やシャウト音を提示するが、どうしても生真面目なチコとアナーキーな親父とはキャラ違いだとしか思えない。スタンダード「You Don't Know What Love Is」は、エリック・ドルフィーに捧げるものとして、ネイサン・デイヴィスが鈍く煙ったような音色とちょっと変わったソロを取る。最後に、チコがマイクを取り、「great, great, greatなサキソフォニスト、レスター・ヤングの曲」と紹介して、全員がソロを取る形で「Lester Leaps In」を演る。ここでは、晩年のドン・プーレンの掻き乱しピアノが飛びだすのが嬉しい。一方、リヴァースは慣れないスタンダードでの短いソロのためか、うまくいかず、手癖で誤魔化している。

面白い記録ではあるが、緊張感ははっきり言って皆無であり、ちょっとストレスがたまる。自分が聴きたいパフォーマンスはこんなお手盛りではない。そんなわけで、リヴァースを聴くという目的ならばと、完全ソロ作『Portrait』(FMP、1995年)を久しぶりに取りだした。FMPレーベルへの吹き込みは、これを除けば、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハのグループへの客演1作のみだ(たぶん)。

本作は多重録音ではない。リヴァースがピアノ、テナーサックス、ソプラノサックス、フルート、それに声を駆使して、延々とおのれの世界を繰り広げたものだ。繰り出す音域は広く、逆に時には狭い音域で攻め続け、執拗にアウトする彼のソロは怖ろしい。やはりリヴァースは「おひとりさま」だった。マイルス・デイヴィスと相容れなかったのも納得できようというものだ。

●参照
サム・リヴァースのザ・チューバ・トリオ
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』(リヴァース参加)
チコ・フリーマン『The Essence of Silence』
チコ・フリーマンの16年
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
最近のチコ・フリーマン


田中絹代『流転の王妃』、『ラストエンペラーの妻 婉容』

2012-01-01 13:50:00 | 中国・台湾

大女優・田中絹代が監督をつとめた映画、『流転の王妃』(1960年)を観る。愛新覚羅溥儀の弟・溥傑の妻となった嵯峨浩の自伝をもとにした作品である。

関東軍司令官から皇族に近い嵯峨家に対して、溥傑(溥哲という役名)と浩(竜子という役名)との見合いの申し入れがある。最初は軍部への抵抗や外国人との結婚という点に渋っていた親族たちは、溥傑と会うや、その人柄を良しとして結婚を決める。満洲での寂しい生活、関東軍の横暴、溥儀との和解(当初、溥儀は浩のことを日本のスパイだと疑っている)、満洲国解体を経て、長い敗走の旅に出る。既に新京(いまの長春)からソ連参戦のため朝鮮国境に近い大栗子に逃れていたが、そこからの逃亡のうちに八路軍に捕えられ、吉林省延吉に投獄される。その後、溥儀の妻・婉容と生き別れ(彼女は間もなく死に至る)、そして、佐世保へと流れ着く。溥傑が遼寧省撫順の戦犯管理所から戻ってこないなか、娘の慧生(英生という役名)を育てるも、その娘は天城山で心中自殺をしてしまう。

嵯峨浩の京マチ子はいいとして、溥傑役に船越英二が据えられているのはひたすら違和感がある。そんなことよりも、映画としては凡庸、さして特筆すべき点はない。入江曜子『溥儀』(岩波新書、2006年)によれば、映画の原作となった嵯峨浩の回想録が出された時代(1959年)は、「不都合は軍に責任転嫁すれば世間が同情し納得する時代」であり、実際のところ、「皇帝の実弟との縁談は浩の側が熱心に望んだ縁談であった」と、自らの立ち位置を被害・受難の側に置いた浩に手厳しい。「涙のベストセラー」を翌年すぐに大映に映画化させられた田中絹代にとっても、いい面の皮、といったところだったかもしれない。

ついでに、昨年録画しておいた未見の番組『ラストエンペラーの妻 婉容』(NHK hi、2010/6/22)(>> リンク)を観る。ここでは『溥儀』だけでなく、溥儀の妻・婉容についての本『我が名はエリザベス』を書いた入江曜子氏がコメンテイターとして登場する。くだけた番組ではあるが、それなりに面白い。

天津で生まれ育ったハイカラ娘・婉容は、溥儀との結婚により、外界から隔離された空間である紫禁城でしばし暮らす。側室の文繍(13歳)がいて、性器を切り落とした無数の宦官がいて、相手の溥儀は同性愛かつ性的不能。いかにこれが異常な場であったか。1924年に紫禁城を追放され、日本の保護のもと逃れたのは懐かしの天津租界

ここで文繍が溥儀のもとを脱出し離婚訴訟を起こすのだが、実は、婉容と溥儀も離婚に合意していたのだという。しかしそれには日本軍が許可を与えず、やがてアヘンの吸いすぎにより、狂女と化す。ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』においても、パーティーの場で泣きながら花を食い続けるシーンなど、おぞましい描写がある。この婉容について、入江曜子氏は、憎い溥儀に刺さった<腐った棘>であろうとする強い意志があったのだ、とコメントしている。そして1946年8月、婉容は中朝国境付近でひとり死ぬ。ああ怖ろしい。

愛新覚羅浩『流転の王妃』や入江曜子『我が名はエリザベス』も読んでみたいところだ。

●参照
入江曜子『溥儀』
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』
小林英夫『<満洲>の歴史』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』 
林真理子『RURIKO』
四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』