Sightsong

自縄自縛日記

鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』

2012-01-03 22:37:29 | アート・映画

拳闘映画(というジャンルがあるのかどうかわからないが)、鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』を続けて観る。

鈴木清順『百万弗を叩き出せ』(1961年)は、清順が日活で突っ走り始める前、多数の娯楽作品を手掛けていたうちの1本である。八丈島まら出てきたボクサー役に、和田浩治と野呂圭介。野呂はどれだけ多くの映画でチンピラ的な役回りを演じたのだろう、映画俳優であることを知らない時分は、『元祖どっきりカメラ』での赤ヘルのイメージだったのだが。貧乏ジムの会長を演じる金子信雄も味がある。

のちの清順スタイルは見ることができないが、ケタケタ笑うイカレ娘の登場や、野呂が話すときに電車の音をかぶせる場面など、制約のなかで面白い映画に仕立て上げようとする工夫は散りばめられている。何しろ短いプログラム・ピクチャーであるから、カットが潔いのだ。

ところで、街角の喫茶かバーかの入口横に貼ってあるメニューに、「ピンクレディー180円 コーヒー70円」とあった。カクテルのピンクレディーだろうか。

阪本順治『どついたるねん』(1989年)は、ろくなものではない。大阪という武器にこんなにもたれかかるのはダメだろう。

●参照
阪本順治『KT』 金大中事件の映画


鎌田慧『六ヶ所村の記録』

2012-01-03 11:20:25 | 環境・自然

鎌田慧『六ヶ所村の記録 核燃料サイクル基地の素顔』(上、下)(岩波現代文庫、原著1991年)を読む。岩波現代文庫としての再版(2011年)に際して、「3・11」を踏まえての補章「下北核半島化への拒絶」が追加されている。

「ロッカショ」と、まるで記号のように呼ばれるその地。「もんじゅ」と同様に、核燃料サイクルの代名詞であるかのように呼ばれる地。勿論、単なる記号ではなく、人間の住む地である。同じ青森出身の鎌田氏は、村に長年足を運び、農業や漁業で暮らす多くの人びとや為政者の声を聞き集め、ルポルタージュの大作としてまとめている。

はじまりは「核」ではなかった。1930年代以降、日本のアジア侵略過程において建国された満洲国に、日本政府は多くの移民(満蒙開拓移民)を送り込んだ。それは、実際には人柱であり、「匪賊」を追い出すための武装農民たることを期待されたものだった。やがて満洲国は解体、多くの人が帰国の際に悲劇をみた。そして、六ヶ所村には、二度目の開拓民として移り住んできた人が多かったという。農地としての状態は満洲より圧倒的に悪く、何よりも満洲は「朝鮮人や満洲人が働いてくれた」のだという声がある。著者は、その点に、人びとの意識の違いをみる。侵略者としての立ち位置を意識し、それを政治への眼として持ち得ているのかどうか、である。村は、満洲侵略の際と正反対の位置におかれてきたのであるから。

国や県の農業政策が軌道に乗りかけた矢先、やはり国、県、そして大資本による巨大な「むつ小川原開発」プロジェクトが立ち上げられる。広大な敷地を工業用地として整備し、地域が発展するというバラ色の夢。地価は倍々ゲームで上昇し、人びとはオカネと権力によって土地を追われた。しかし、二度の石油ショックがあり、計画は大幅な用地縮小と、広大な更地造成という形となった。その一部は、形を変えて石油備蓄基地となり、そして、核燃料サイクル基地構想に姿を変えた。すべては民主主義とは対極にある方法で進められた。

「放射能の危険が出現する前、すでに民主主義が侵食されている。それが県民にとっての二重の危険性である。」

著者は、結果として産業用地があったから核へと突き進んだのではない、もとより核半島構想があったのだと見抜く。1960年代のはじめ、この地の砂鉄を使った「むつ製鉄」計画があるもコスト高のため頓挫、それは1967年に原子力船「むつ」の母港に姿を変えた。著者がいう「下北核半島」のはじまりである。1969年には、政府の調査報告書に核開発の方針が明記されているという。従って、核燃サイクルの開始は、リーク記事により世の中に再浮上した1984年ではなく、それよりも15年遡る。

「たとえば、各地の原発を取材しながら、核廃棄物(使用済み核燃料)はどうするのですか、と聞くと、応対した担当者は得たりとばかりに、「心配ありません。全部、六ヶ所村へはこばれます」と答えるのがつねだった。全国の原発がつくられるとき、その廃棄物は六ヶ所村に持ち込まれる、と構想されていた、としたならば、それは巨大な陰謀ともいえるものだった。」

核燃料の再処理・最終処分そのもの危険性のみならず、「トイレのないマンション」という言葉が悪い冗談でなくなってきている。東日本大震災では、福島第一原発の使用済み核廃棄物が第二、第三の災禍をひきおこしている(もう六ヶ所村には持ち込めない)。六ヶ所村の貯蔵プールもあぶないところだったという。もはや核燃料サイクル構想は破綻していると言うべきだが、まだ亡霊は蠢いている。

『週刊金曜日』876号(2011/12/16)は、「核燃サイクルの魑魅魍魎」と題した特集を組んでいた。鎌田慧氏も、10年前に県がシリコンバレーの成功にならってIT企業の誘致策として構想した「クリスタルバレイ」の現状を報告している。県は「核基地」のイメージを払拭するため、巨額の予算をかけるも、いまのところ大失敗に終わっているという。次なる払拭プランは、風力をはじめとする再生可能エネルギー開発のようだが、核燃料サイクルそのものが止められることは、まだなされていない。

●参照(原子力)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』

●参照(鎌田慧)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)


小林正樹『切腹』、『怪談』

2012-01-03 03:48:16 | アート・映画

小林正樹『切腹』『怪談』を観る。

『切腹』(1962年)はかねてから観たかった作品で、昨年末にNHKで放送されたのを録り忘れて嘆いていたところ、編集者のSさんが送ってくださった。

江戸時代初期、泰平の世にあってどこにも雇ってもらえない素浪人が続出する。そのひとり、津雲半四郎(仲代達矢)も井伊家を訪ねる。もはや生きていてもいいことはない、ならば腹をかっさばいて自死したいので庭先を貸してくれ、と。実は、妻子が病気ながらオカネもなく、思いつめた娘婿も同じ手口で井伊家を訪れており、応対した家老(三國連太郎)や家来(丹波哲郎)はそれを見越したうえで切腹をさせる。津雲の訪問は、その復讐であった。

時間がゆるやかに進む中での、仲代や三國の重々しい台詞と顔。丹波と仲代との対決(黒澤明『用心棒』があった)。仲代と井伊の家来大勢との長い殺陣。いや激しく面白い。

一連の騒動が終息したあと、井伊の家老は、すべてをなかったかのように片付ける。素浪人の扱いはもとより、死んだ何人かの家来でさえ、病死という形にせよとためらうことなく命令するのである。体制にとってはひとりひとりのイノチや想いなど何の価値もなく、すべては権力とオカネ。現代性も感じさせられる。

はじめに切腹させられる娘婿の素浪人に対し、丹波は、昨今切腹を簡単にしておいて介錯にゆだねる場合が多いが、ここでは横・縦と十文字に切れ、と脅す。そして、オカネに困ったため竹光しか持っていないことを知りながら、腹になんとか体重をかけて竹光を刺した素浪人に、まだだ、まだだ、と鬼のように怒鳴るのである。たとえ切腹するような事態になったとしても、こんな目には遭いたくないものだ。

千葉徳爾『切腹の話 日本人はなぜハラを切るか』(講談社現代新書、1972年)によれば、切腹にもいろいろな方法があったようで、必ずしも十文字切りが正式な作法とは言えないようだ。実際、難しいようである。(痛すぎていつまで経っても全部読めない本である。「はらわたの妨害」って何だ、筒井康隆を読んでいるみたいだ。)

「・・・まず横一文字に深く切り、次に傷口を拡大すべく十文字にとりかかると、一般に困った問題がおこる。それはみぞおちあたりに突立てて下に切りおろすと、その圧力が腹圧に加わる上に、横一文字の切口は開きやすいので、たいてい一文字の切口まで切り下げると腸がはみ出し、それがなめらかでやわらかいから容易に切断されず、結局切口の下半分を縦に切るのは大変困難である。何しろ血は出るし、痛いし、息ははずむし手はすべるしという具合だから、考えただけでもきれいな十文字腹を切るのはなまなかな気力、体力ではできないことといえる。その上に、たとえはらわたの妨害をのりこえたとしても、横一文字の下の切口はピンとはりつめているわけではなく、押えれば外側か下側にまくれるのだから、これに切り込んで十文字を完成するのは大した努力が必要である。」

続いて制作された『怪談』(1965年)も、音楽・武満徹、撮影・宮島義勇、美術・戸田重昌、題字・勅使河原蒼風という同じ豪華スタッフで制作されている。『切腹』と違いカラー作品であり、戸田・宮島の色が冴えわたっている。戸田重昌は、多くの大島渚作品や篠田正浩『処刑の島』においてと同様に、毒毒しい色のインスタレーション的なセットを展開し、名カメラマン・宮島義勇は人工的な色にこだわって、この独特な世界を完成させている。

ここでラフカディオ・ハーンの小説から選ばれたのは、「黒髪」、「雪女」、「耳無し芳一」、「茶碗の中」の4話である。それぞれ見所があり、とくに「耳無し抱一」における壇ノ浦での平家没落場面の迫力は凄まじい(安徳天皇が尼とともに入水するとき「草薙の剣」は見えなかったが)。しかし芸術至上主義というのか、大作至上主義というのか、感心はしても怖くはないのだった。