末木文美士『日本仏教の可能性 現代思想としての冒険』(新潮文庫、2011年)を読む。同じ著者による『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』(新潮文庫、1996年)は良書で、再読に耐えるよう表紙をラミネートで覆ったほどだ。
本書は講演をもとにしており、さほど体系的にまとめられたものではない。それでも、門外漢ながら、現代において仏教の持ちうる価値とは何か、という課題に刺激される。
おそらくはこんなことだ。
仏教は、個の精神というクローズドな系のなかでの発展を重視したあり方(本覚思想、如来蔵思想)に偏るのではなく、むしろ、人と人との間をつなぐ、実社会のなかでのあり方(中国の人間仏教、東南アジアのエンゲイジド・ブッディズム)に注目していくべきである。その関係性においては、相手は生者だけでなく(倫理)、死者も含まれる(超・倫理)。かつまた、関係性は、「相手のことがわからない」ことが前提となる。そのような考えにたって、宗教と政治との関係、社会のなかの宗教、宗教と国家との関係、靖国についても、偏った思い込みやタブーなく、再考していくべきである。
ただ、エマニュエル・レヴィナスの言う他者とは死者のことを意味するのではないか、との指摘は、ピンとこない。自己は何者をも予見せず引き受けるのであろうから、他者に死者が含まれるのだと言うならそうかもしれないのだが。
●参照
○仏になりたがる理由(義江彰夫『神仏習合』について)
○エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』
○エマニュエル・レヴィナス『存在の彼方へ』
○ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』
○ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは
○柄谷行人『探究Ⅰ』
○柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
○高橋哲哉『戦後責任論』