Sightsong

自縄自縛日記

『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展』

2014-10-12 22:49:46 | アート・映画

板橋区立美術館で、『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展』というユニークな展覧会が開かれている。もうすぐ会期終了ゆえ、慌てて足を運んだ。

奇想を愛し、日本に紹介した種村氏。かれのフィルターを通じた作品群が集められており、すこぶる愉快。昔から気になっていたアルフレッド・クビーンによる、第一次大戦後に不安と死とに憑りつかれた作品を観ることができたことも嬉しかった。

特に魅せられた作品は、トーナス・カボチャラダムスによるものだった(なお、日本人である)。カボチャが存在感を主張しまくる世界に蠢く人びとが、ユーモラスに、ぎっちりと描きこまれている。これは愉しい。まるでカボチャ版ブリューゲルだ。北九州市の「カボチャドキヤ国立美術館」にも行ってみたいものだ。

最近はめったに図録を買わないわたしだが、平凡社の書籍としてまとめられたそれは出来が良く、つい入手してしまった。

ところで、板橋区立美術館の近くには、有名な「東京大仏」がある。説明版によると、大仏が鎮座する乗蓮寺の住職さんが3年かけて1977年に完成させたものだという。意外に新しい。座高8.2m、頭部3m。


2014年10月、ハノイ(2) 朝の市場

2014-10-12 10:27:16 | 東南アジア

ハノイは表通りも面白いが、裏通りも面白い。ちょっと横町に入ると、魚、肉、野菜、花、日用品。ちょうど今年はインドシナ戦争の終結(1954年)から60周年にあたり、あちこちに記念の看板やベトナムの国旗が飾られている。

毛細血管のような小さい路地に入り込んだところ、方向がまったくわからなくなって、外に出るにはどうすればいいかを人に尋ねなければならなかった。

※写真はすべて Leica M3、Pentax 43mmF1.9、Fuji 400H

●参照
2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔

2014-10-12 10:19:07 | 東南アジア

1年半ぶりのハノイ。

東南アジアの散歩は朝に限る。おそらくそれが常識であって、ティエンクアン湖や統一公園(むかしのレーニン公園)のバイマウ湖の脇では、散歩だけでなく、大勢の人が、ダンス、器具を使ったエクササイズ、何やら独自のエクササイズなんかをしている。朝6時からテニスをしている人までいる。

やはり、ホテルの朝食などではなく、外でフォーを食べるべきだったか。

※写真はすべて Leica M3、Pentax 43mmF1.9、Fuji 400H

●参照
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』

2014-10-12 08:24:14 | 中国・四国

マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』(河出書房新社、原著1960年)を読む。

1957年8月、広島。30歳過ぎのフランス人の女と、40歳位の日本人の男とが関係を持つ。12年前の原爆投下とその後の惨劇について、女は「わたしはすべてを見た」と言い続け、そのたびに、男は「きみは何も見ていない」と否定する。男にはわずかにでも当事者性があり、女にはそれがない。そのとき、十代後半の女は、大戦中のフランスの小村において、ドイツ人兵士と恋愛に落ちていた。かれとふたりで村を脱出するその日に、ドイツ人兵士は射殺され、女は敵と関係を持ったという咎で丸刈りにされ、地下室に数年間幽閉されたのだった。12年前の日本人の男と、殺されたドイツ人の男とが重なり、当時の物語を現在進行形のドラマとして繰り返す。それはフロイト風の治療にも見える。

本書は、アラン・レネによる同名の映画の脚本を中心としたテキストであり、これ自体として独立した作品である。それと同時に、映画がレネとデュラスとの共同作業であったことがよくわかる。

「わたしはヒロシマを見た」、「きみは何も見ていない」という溝は、デュラス自身による「補遺」にあるように、「フランス人」と「日本人」との間に横たわったものではない。そうではなく、それは、当事者であったか否か、苛烈な体験を身体に刻んだか否かという、「態度の踏み絵」なのであり、溝は決して埋まることがない。女のまったく別の苛烈な体験は、「ヒロシマ」の代償として現われるようにも思われる。

まさに、「ヒロシマ」の向こう側は言葉が意味を失い、そのために「広島」を抽象的に「ヒロシマ」と呼ぶわけである。言葉=人間が抽象となる臨界点という意味で、「ヒロシマ」があり、同様に、「ホロコースト=ショアー」があり、「ナンキン」があり、「フクシマ」がある。安易な象徴化は批判されるべきだとしても、その衝動はわからなくもない。

たしかに、「当事者性」という面からは、異なる惨劇を個人の上に重ね合わせることにも、個人の苦痛を浄化の過程として描くことにも、拒否反応があって然るべきかもしれない。しかし、それらの矛盾と埋まらない溝をこそ、本書において読むべきなのだろう。

●参照
アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』
ジャン=ジャック・アノー『愛人/ラマン』(デュラス原作)