盛本勲『沖縄のジュゴン 民族考古学からの視座』(榕樹書林、2014年)を読む。
いまや沖縄において超希少種となり、辺野古の新基地建設で絶滅の危機にさらされているジュゴンだが、かつては、沖縄にも奄美にも少なくない数が棲息していた。激減の理由は捕獲である。
その「ジュゴン食い」については、あまり詳細なことはわかっていないらしい。少なくとも、八重山の新城(あらぐすく)島では、琉球王朝への献上を義務付けられており、その際には、塩漬け、乾燥肉、燻製にされていたという。亜熱帯であるから当然とも言える(もっとも、首里に生体が運搬されて解体されたこともあるようだが)。そして、それは、たとえば鉋で薄く削いでお湯をかけ、吸い物にされた。これは中国の冊封使にも供され、珍味とされていた。
実際のところ、美味とされる味はどうだったのか。著者も食べた経験はないというが、辺見庸『もの食う人びと』には、フィリピンでも最近までジュゴンを食べていたとある。柳田國男も、「肉ありその色は朱のごとく美味なり、仁羹(にんかん、人魚の肉)と名づく」と書いており、南方熊楠は「千六六八年、コリン著『非列賓(フィリピン)島宣教志』八○頁に、人魚の肉食うべく、その骨も歯も金瘡(切り傷)に神効あり、とあり」と書いている。一方では、市川光太郎『ジュゴンの上手なつかまえ方』によると、食べた結果、硬くて獣臭かったともある。
本書によると、沖縄のジュゴンは、フィリピンに棲息するジュゴンとDNA的に近い関係にあり、かつて、フィリピンから遠路はるばる移動してきた可能性があるのだという(タイの研究者カンジャナ・アデュルヤヌコスルさんも、沖縄のジュゴンがタイやフィリピンから来た可能性について言及していた)。むろん、関係が近いからといって味が近いかどうかという話にはならないだろうね。
面白い話。ジュゴンの骨は、沖縄でも、装飾用や道具用に重用されていたが、それはパラオ諸島でもそうだった。ジュゴンの「第三脊椎骨」は真ん中に孔が開いており、そのために腕輪に利用できるのだが、その孔があまりにも小さく、成人男性がはめるためには大変な苦労を要した。場合によっては、手の関節をばらばらにして腕にはめ、その偉業(?)によって尊敬を得て酋長になるという習慣があった、というのだ。聞いただけで痛い。酋長候補にならなくてよかった。
●参照
市川光太郎『ジュゴンの上手なつかまえ方』
池田和子『ジュゴン』
名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ(2009年)
ジュゴンと生きるアジアの国々に学ぶ(2006年)
『テレメンタリー2007 人魚の棲む海・ジュゴンと生きる沖縄の人々』(沖縄本島、宮古、八重山におけるジュゴン伝承を紹介)
澁澤龍彦『高丘親王航海記』(ジュゴンが「儒艮」として登場)
タイ湾、どこかにジュゴンが?
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘