Sightsong

自縄自縛日記

モンゴルの口琴

2014-10-28 23:36:25 | 北アジア・中央アジア

ウランバートル郊外に巨大なチンギス・ハーン像があって、その中には当然のように土産物屋がある。

モンゴルで見る土産物といえば、ゲルのおもちゃ、馬頭琴のミニチュア、手袋、毛皮の帽子、Tシャツや絵葉書などの「いやげ物」、馬の置き物など。どうせ琴線に触れるようなものもないだろうと近づいてみると、びよ~んびよ~んという音が聞こえる。口琴を弾いている人がいる!

誰の手作りかわからないが、紛れもなくモンゴルの口琴である。早速ためしてみて、塩梅の良いものを買った。3万5千トゥグルグ、約2千円。

金属製の口琴は、指で弾く弦が飛び出ていて、危ないし保管が不便である。この口琴は、それがすっぽりと収まるよう溝が彫られた木の箱に、うまく紐で結えてある。よく考えられていて感心する。

音はというと、軽快で気持が良い。調子に乗って、ウランバートルの日本料理屋で仕事仲間に披露し、「顔が怖い」と評価された。

帰って手持ちの口琴と比較してみると、ハンガリーの匠ことゾルタン・シラギー氏作成の「ロココ」とは、また違った軽やかさだ。なお、アメリカ製の武骨な口琴は、文字通りぐぉ~~んと頭蓋骨が揺れておかしくなる。北海道で買ったアイヌのムックリは竹の音。

びよ~んびよ~ん。

手前左から、モンゴル製、ハンガリー製、アメリカ製。奥、アイヌのムックリ。

●参照
酔い醒ましには口琴
『沖縄・43年目のクラス会』、『OKINAWA 1948-49』、『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』(宮良瑛子の口琴の絵)
ハカス民族の音楽『チャトハンとハイ』(ハカスの口琴)
チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』(タイの口琴)
"カライママニ" カドリ・ゴパルナス『Gem Tones』(インドの口琴)
マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』(アメリカの口琴)


安宇植『金史良』

2014-10-28 00:14:38 | 韓国・朝鮮

京都・大阪への行き帰りに、安宇植『金史良―その抵抗の生涯―』(岩波新書、1972年)を読む。

金史良(キム・サリャン)は、在日コリアン文学者の嚆矢であり、李恢成も幾度となくリスペクトを表明している。

「日本語で書かれた彼の作品はまた同時に朝鮮人でなければ書けぬ濃密な文体を持っていた。日本語は彼のパレットに溶け合わされて出てくると不思議と朝鮮的な色彩を帯び出し、文体は生き生きとしている。また羨ましいほど文体に人間・金史良の息遣いが立ちこめ、生の声が録音されている感じである。」
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』

1914年、日本占領下の平壌生まれ。旧制中学時代に教師排斥運動に関わった咎で退学となり、北京へ出るという夢を捨て、佐賀高校(現・佐賀大学)、東京帝大へと進む。その時分から文学活動を開始する。祖国を併合し、自民族を抑圧した者のことば、すなわち、日本語によってである。

このことは、民族的意識を高めることに貢献したという。ことばは、単なる機能ではないからだ。一方、日本の文学者たちの中には(林房雄など)、「朝鮮の精神と文化の伝統を生かす」ために、コリアンの文学者たちに、日本語を強要すべきだと考える者が少なくなかった。同化という暴力に対するあまりの鈍感さである。

やがて戦争がはじまり、従軍作家となることを拒絶した金史良は逮捕される。本書によれば、釈放の条件としてかれが呑んだ条件は、その後における時局強力であった。かれは後悔と自己嫌悪とのために、文学活動を続けることができなくなっていった。しかし、もとより積極的な権力への阿りではなく、その精神については、火野葦平、林芙美子、菊地寛ら積極的な戦意高揚を行った者たちと比べるまでもないだろう(『従軍作家たちの戦争』)。

金は自分自身を取り戻すかのように、抗日活動を行う中国に渡り、さらに、朝鮮戦争に参加する。そして、心臓を病み、撤退に耐えられないことを知った金は、ひとり寒い山中に居残り、死をえらんだ。なんという、激しく自己を貫き通した人生だったのか。

●参照
金史良『光の中に』
青空文庫の金史良
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(国策に協力した張赫宙との違い)
金達寿『わがアリランの歌』(金史良との交流)
『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』