Sightsong

自縄自縛日記

ミルチャ・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』

2014-10-26 21:37:01 | ヨーロッパ

気が向いて、ミルチャ・エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』(福武文庫、原著1940年)を読む。

本書には、1940年に書かれた2つの短編が収録されている。

「ホーニヒベルガー博士の秘密」は、インドの秘儀を求めた「ホーニヒベルガー博士」に魅せられた研究者が、突然姿を消し、その謎を探ってほしいと研究者の妻が別の男に依頼するところからはじまる。書斎に残された、膨大な文献資料とノートの数々。実は、研究者は、秘儀を半ば習得し、そのために他者から視えなくなっていたのだった。しかし、男がそこまで追求したところで、世界が一変する。まるで時空間が狂ったかのように。この暗欝な雰囲気は、巨人エリアーデが住んだブカレストの街をイメージしてのものだという。

「セランポーレの夜」は、インドのカルカッタ(現・コルカタ)が舞台。ここに人生の意義を求めて集う男たちは、ある夜、魔術にかけられたように彷徨い、半死半生の目に遭う。かれらが入り込んだ世界は、100年以上前の西ベンガルであった。この謎は、論理的に解くことができるようなものではなかった。

いや、久しぶりにエリアーデなんて読むと、奇妙な魅力にやられてしまうね。『ムントゥリャサ通りで』と同様に、唐突に、読者が無重力・非論理の時空間に放置される感じ。未体験の東欧にも、足を運んでみたくなる。

●参照
ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』


何義麟『台湾現代史』

2014-10-26 09:38:02 | 中国・台湾

ウランバートルからの帰国中に、何義麟『台湾現代史 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社、2014年)を読む。

本書を読むと、日本の敗戦(1945年)と国民党政府の台湾移転(1949年)との間に起きた二・二八事件(1947年)こそが、台湾にとってもっとも大きな歴史的記憶であったことがよくわかる。それは、戦時中の従軍慰安婦問題や、韓国における済州島四・三事件(1948年)がそうであったように、数十年もの間、公的な場で語ることがタブーとされた「国家権力による巨大な暴力」であった。

日本による60年間の支配(1895-1945年)を経て、台湾は、中国の国民党が支配的な力を握るようになる。戦前から住んでいた漢族系移民の「本省人」と、戦後中国から渡ってきた「外省人」との間には、深刻な対立が生じた。本省人は政治においても社会においても差別的な扱いを受け、また、日本の支配に馴らされて奴隷的なマインドを持っていると決めつけられた。不満が爆発し、それに対して、まだ大陸に居た蒋介石の指示により陳儀政府が行った白色テロこそが、二・二八事件である。犠牲者は1.8-2.8万人にも及ぶという。

(もちろん、それ以前にマイノリティと化した「原住民」=先住民族のことが、この図式では捉えられない。そのことも、本書は丁寧に指摘している。)

一連の暴力は、住民にとって恐怖の記憶となり、そのために、蒋介石・蒋経国親子の時代には民主化が進まなかった。社会運動も、メディアも、強く弾圧された。しかし、国際政治の舞台に中国が出てきて、国連加盟や日米を含む西側諸国との国交回復にいたり、台湾の存在基盤はきわめて危ういものとなっていく。そして、民主化が進む中で、回復・共有すべきものとして再浮上した歴史的記憶こそが、二・二八事件なのだった。

示唆的なことは、多くの者が、日本やアメリカに活動の拠点を移して外部から民主化を働きかけたというプロセスである。いまの日本でも、国内では抑圧され抹消されてしまうような異議申し立てが、国連やアメリカ連邦議会などの場で力を持つことが少なくない。この手段は、決して変化球ではないのである。

●参照
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
侯孝賢『非情城市』(二・二八事件)
港千尋『Art Against Black Box / Taipei - Tainan - Tokyo』(ヒマワリ学運)
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-(台湾「原住民」の音楽)
エドワード・ヤン『クー嶺街少年殺人事件』(1950-60年代の対立)
劉國昌『弾道 Ballistic』 台湾・三一九槍撃事件


旨いウランバートル

2014-10-26 00:57:01 | 北アジア・中央アジア

3回目のウランバートル。何となく慣れてきて、旨い店にもいくつか。

■ Modern Nomads (モンゴル料理)

割と最近、何店舗も展開しているようで、評判が良い。とりあえず、「ステップの白さ」なる羊肉メニューを注文してみたところ、どどんと大きな肉が出てきた。ビールと一緒に夢中になって食う。ところで、店内のモニターでは『ひつじのショーン』を流している。羊を食べているのに、何の冗談か。


ステップの白さ

■ The Square Grill Pub (モンゴル料理)

チンギス広場横のCentral Tower内にある。「ビジネスランチ」の焼き肉饅頭。上にはサワークリーム。


焼き肉饅頭

■ ウクラインスカ (ウクライナ料理)

仕事仲間のモンゴル人に「旨いロシア料理がある」と聞いて、迷いながらなんとか辿り着いた。ロシア料理ではなくウクライナ料理だった。

かなり地元の人たちでにぎわっていて、家族連れも女子会も。特に「キエフのカツレツ」(チキン)が絶品で、ナイフを入れたとたんに肉汁が1メートル飛んだ。これはかなり高得点。次に行くときにも絶対に食べようと決意した。


キエフのカツレツ


ピロシキ

■ Mirrage (モンゴル料理)

少しはずれたところにあって、有名なカシミヤショップ「ゴビ」の隣。


牛レバー


羊スペアリブ

■ Asiana (アジア料理全般)

街の南側に最近出来たという、小奇麗なところ。内装が凝っていて、個室に「京都」だの「北京」だのといった名前がつけられている。ゲルまでもある。

「上海」で、主に中華料理を食べた。とても旨かったのだが、勢いにのってウォトカを痛飲し、久々に泥酔、翌朝大後悔。何でもモンゴルは標高が高いこともあって、酔いがまわりやすいのだそうだ。


上海の絵


ウォトカと中華

■ チンギス巨像のレストラン (モンゴル料理)

ウランバートルから自動車で1時間半くらい走ったところに、冗談みたいに大きなチンギス・ハーンの像がある。その下にレストランがあって、注文して待つ間にも展望台に行くことができる(チンギスの馬の上)。ウォトカのせいで午後になってもつらく、ビーフジャーキーの麺(Tsuivanという小麦粉の麺)を食べた。かなり二日酔いが治った。


ビーフジャーキーのTsuivan

■ 石庭 (日本料理)

つい興奮して、写真を撮らなかった。


入口でヘンなオヤジが「ご苦労様です」などと呟いている

■ Biwon (韓国料理)

これもCentral Tower内にあって、ランチでも結構いい値段。カルビタンで汗をかいたら、気のせいか体調が良くなった。


カルビタン

■ Pyongyang Baekhwa restaurant (北朝鮮料理)

今年の8月にモンゴルに来たときに、空港でチラシを配っていて、大事に取っておいた。もちろん国交があるから、このような店がある。

しかし、場所はわかりにくく、ホテルの人に確認してもらい、タクシーを手配してもらって行った。ビルの入口には何も示されておらず、奥の暗いエレベーターで4階に昇るときには不安が爆発する。適当にネット情報だけで辿り着くのはまず不可能である。

ただ、店の入り口から綺麗で、店員のサービスもかなり丁寧(何しろ、必ず後ろにまわって料理を出す)。山菜の炒め物、葱のチヂミ、黒い餃子(ジャガイモを凍らせてすりおろし、皮にする過程で黒くなるのだとか)、黒い冷麺など、どれもこれもお世辞抜きで本当に旨い。

8時になると、パフォーマンスがはじまった。歌って踊って、楽器演奏まで。上手いだけではなく、民族衣装を着た女性がドラムスを叩いたりと目を奪われる愉しさ。これは凄い。次にウランバートルに行くときにも必ず足をのばさなければ。


山菜


チヂミ


黒い餃子


冷麺

■ Delhi Darbar (インド料理)

ウランバートルのインド料理がハイレベルであることには定評があるようで、確かに、ナンもカレーもラッシーも旨い。


カレーいろいろ

■ さくら (日本料理)

他国の日本料理店で、この名前を付けているところは数限りないのではないか。それはともかく、わたしはすぐ日本料理が恋しくなるほうなので、結局食べてしまった。

「鮭とチーズの生春巻」という変わった料理があったが、かなりいける。カツ丼は普通の味。普通がいちばん。おコメがいまひとつかな。

日本以外でのカツ丼ランキングを付けるとすれば(3箇所でしか食べていないけど)、ミャンマー>モンゴル>>サウジアラビア


カツ丼


鮭とチーズの生春巻