西高島平の板橋区立美術館に足を運んだ。「東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展、初日である。
1920年代以降、落合や池袋といった安い「郊外」に若者が集まった。それは、同時期に堤康次郎らによってハイソな街として開発された「目白文化村」などとはもとより性質を異にするものだった(なお堤は戦後、西武線沿線の開発で成功する >> 原武史『レッドアローとスターハウス』)。とはいえ島津製作所の島津家などパトロンもいるにはいた。
20年代に、中村彜、佐伯祐三らが落合に住み始め、30年代には松本俊介も来た。さらに30年代には、落合から歩ける距離の池袋にもアーティストたちが集まり、「池袋モンパルナス」と呼ばれた。そこには、小熊秀雄、メキシコ帰りの北川民次、アメリカ帰りの野田英夫、長谷川利行、麻生三郎らがいた。この名前から容易に想像できるように、フォーヴィズムやシュルレアリスムといった海外の最先端の受容に大きな役割を果たしたコミュニティであったのだろう。かれらの芸術運動は戦時中には抑圧されるも、戦後また復活を遂げている。新しい運動の担い手が、高山良策や山下菊二らであり、その作品は社会批判的な色彩を帯びることとなった。
ここで、なぜ沖縄なのか。戦前の落合や池袋には、名渡山愛順、南風原朝光、山元恵一ら沖縄出身のアーティストがいて、戦後の沖縄においてその精神や運動を共有した。また山之口獏は池袋の「おもろ」を根城にして沖縄を発信し、沖縄を想い続けた。首里のニシムイ美術村では玉那覇正吉、安谷屋正義、大嶺政寛、安次嶺金正らも集まり独自性を拡張していった。
この動きは東京から沖縄への一方向ではない。戦前、戦後ともに、沖縄は藤田嗣治、山崎省三、丸木夫妻などの作品制作のインスピレーション源でもあり、それは沖縄と東京とを往還した者たちの手引きによってこそ成り立つものだった。
以上が、この展覧会のおおよそのアウトラインである。それを背景として作品を鑑賞すると、さまざまな発見がある。
佐伯祐三が落合を描くなんて場所を飛び越えていて興奮させられる。松本俊介の童話の挿絵のような、テンペラ画のような作品は、この場に位置付けるとさらに観る方の想像も広がってゆく。小熊秀雄のスケッチには実に味がある。藤田嗣治が描く沖縄は、一見そうであっても、オリエンタリズムなどを超えている。山元恵一のシュルレアリスム作品は、沖縄の太陽に照らされている。安次嶺金正の人いきれや倦怠感は素晴らしい。安谷屋正義のきりきりに削っていったかのような半具象・半抽象の作品を4点も観ることができた(以前に沖縄県立博物館・美術館で観て印象的だった「塔」も来ている)。大嶺政寛(大嶺政敏の兄)の「1950年西原」には打ち棄てられた米軍の戦車が描かれており、ごりっとした違和感を抱くも、実はそれは現在に直接つながっていることに気付かされる力がある。そして丸木夫妻の「沖縄戦の図」の一部。
会場では、沖縄県立博物館・美術館で2015年に開かれた「ニシムイ 太陽のキャンバス」展の図録も入手できる。さすがに沖縄の作品をもっと多く紹介しており、こちらもとても興味深い。
必見。
●参照
高良勉『魂振り』
「琉球絵画展」、「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」、「赤嶺正則 風景画小品展」
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
山之口貘のドキュメンタリー
沖縄・プリズム1872-2008