Sightsong

自縄自縛日記

東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村@板橋区立美術館

2018-02-25 21:27:29 | 沖縄

西高島平の板橋区立美術館に足を運んだ。「東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展、初日である。

1920年代以降、落合や池袋といった安い「郊外」に若者が集まった。それは、同時期に堤康次郎らによってハイソな街として開発された「目白文化村」などとはもとより性質を異にするものだった(なお堤は戦後、西武線沿線の開発で成功する >> 原武史『レッドアローとスターハウス』)。とはいえ島津製作所の島津家などパトロンもいるにはいた。

20年代に、中村彜、佐伯祐三らが落合に住み始め、30年代には松本俊介も来た。さらに30年代には、落合から歩ける距離の池袋にもアーティストたちが集まり、「池袋モンパルナス」と呼ばれた。そこには、小熊秀雄、メキシコ帰りの北川民次、アメリカ帰りの野田英夫、長谷川利行、麻生三郎らがいた。この名前から容易に想像できるように、フォーヴィズムやシュルレアリスムといった海外の最先端の受容に大きな役割を果たしたコミュニティであったのだろう。かれらの芸術運動は戦時中には抑圧されるも、戦後また復活を遂げている。新しい運動の担い手が、高山良策や山下菊二らであり、その作品は社会批判的な色彩を帯びることとなった。

ここで、なぜ沖縄なのか。戦前の落合や池袋には、名渡山愛順、南風原朝光、山元恵一ら沖縄出身のアーティストがいて、戦後の沖縄においてその精神や運動を共有した。また山之口獏は池袋の「おもろ」を根城にして沖縄を発信し、沖縄を想い続けた。首里のニシムイ美術村では玉那覇正吉、安谷屋正義、大嶺政寛、安次嶺金正らも集まり独自性を拡張していった。

この動きは東京から沖縄への一方向ではない。戦前、戦後ともに、沖縄は藤田嗣治、山崎省三、丸木夫妻などの作品制作のインスピレーション源でもあり、それは沖縄と東京とを往還した者たちの手引きによってこそ成り立つものだった。

以上が、この展覧会のおおよそのアウトラインである。それを背景として作品を鑑賞すると、さまざまな発見がある。

佐伯祐三が落合を描くなんて場所を飛び越えていて興奮させられる。松本俊介の童話の挿絵のような、テンペラ画のような作品は、この場に位置付けるとさらに観る方の想像も広がってゆく。小熊秀雄のスケッチには実に味がある。藤田嗣治が描く沖縄は、一見そうであっても、オリエンタリズムなどを超えている。山元恵一のシュルレアリスム作品は、沖縄の太陽に照らされている。安次嶺金正の人いきれや倦怠感は素晴らしい。安谷屋正義のきりきりに削っていったかのような半具象・半抽象の作品を4点も観ることができた(以前に沖縄県立博物館・美術館で観て印象的だった「塔」も来ている)。大嶺政寛(大嶺政敏の兄)の「1950年西原」には打ち棄てられた米軍の戦車が描かれており、ごりっとした違和感を抱くも、実はそれは現在に直接つながっていることに気付かされる力がある。そして丸木夫妻の「沖縄戦の図」の一部。

会場では、沖縄県立博物館・美術館で2015年に開かれた「ニシムイ 太陽のキャンバス」展の図録も入手できる。さすがに沖縄の作品をもっと多く紹介しており、こちらもとても興味深い。

必見。

●参照
高良勉『魂振り』
「琉球絵画展」、「岡本太郎・東松照明 まなざしの向こう側」、「赤嶺正則 風景画小品展」
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
山之口貘のドキュメンタリー
沖縄・プリズム1872-2008


吉田隆一+石田幹雄『霞』

2018-02-25 20:37:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

吉田隆一+石田幹雄『霞』(Sincerely Music、2009年)。入手した直後に姿を消してしまいガッカリしていたのだが、最近、棚の隅っこから救出された。ああよかった。

Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs)
Mikio Ishida 石田幹雄 (p)

これはなに的というのだろうか。日本のジャズ的?吉田隆一的、石田幹雄的?

吉田さんのバリサクは、重たくでかい拳をもってカンフーの闘いのようにばしんばしんと突きまくる。音の先っぽのエッジがとても立っている。一方の石田さんも強靭さでは負けるわけもなく、新たな数列を確信をもっているかのように編み出し即座にぶつけてくる。まるで北斗神拳のケンシロウと北斗琉拳のハンの勝負のようだ。かれらは千手観音のように高速の突きを互いに繰り広げ、殺し合いのくせに愉し気なのだった。これは殺し合いではないが。

●吉田隆一
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)

●石田幹雄
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
後藤篤『Free Size』(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)

松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』(2008年)


ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』

2018-02-25 19:51:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウルリケ・レンツ+ヨシュア・ヴァイツェル『#FLUTESHAMISEN』(2016年、Factorvac)を聴く。

Ulrike Lentz (piccolo, fl, fl with glissando headjoint, alto fl, flutetubes)
Joshua Weitzel (chuzao shamisen)

タイトルの通り、フルートと三味線。ふたりともドイツ人である。

ヨシュア・ヴァイツェルは日本で働いていたこともあり、日本語も堪能である。かれが三味線を日本の伝統音楽として学んだのかどうかわからないのだが(ギターも弾く)、それはどちらでもよい。これを聴くと、独自文脈でのインプロとして、三味線にもさまざまな表現があるのだなと驚かされる。掻き鳴らしも、細い弦を強く張ったことによる独特の振動音も、音をそこから外部につまみ出すような手法も。

その多彩さはウルリケ・レンツのフルートについても言うことができる。もとより音波が安定しない楽器だが、そのことを活用したゆらぎが効果的で、尺八を思わせもする。唇付近の音を増幅させる時間も、管全体の風のような共鳴を際立たせる時間もある。

このふたりによる即興が2曲。面白く興味深い。ヨシュアさんは今年の7月にも来日するそうであり、ぜひいろいろ手法や考えについて訊いてみたい。

●ヨシュア・ヴァイツェル
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee
(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri
(2017年)


ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』

2018-02-25 09:11:00 | ヨーロッパ

ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』(1987年)を観る。もう学生の頃以来だからゆうに20年以上ぶりの鑑賞である(DVDを買った)。

歴史が始まってからずっと人間を観察し、静かに守ってきた天使たち。そのひとりダミエル(ブルーノ・ガンツ)が、自分の身体で実感できる世界や、自分の作る歴史をもとめて、人間になる。きっかけのひとつは、サーカスの踊り子マリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)の存在でもあった。

何しろ、ベルリンの壁があった28年間の末期に撮られたフィルムである。革命が起きて市民により壁が壊されるのは、このわずか後なのだ。それに向かう予感や予兆があったのだろうか、それともあくまで希望だったか。

大事な場所はポツダム広場。壁があるために荒れ地となっており、かつての繁栄を知る歌い手が歩いてきて、その変わりように絶望している。ダミエルは自分自身の時代を作ると決意する。そして人間になって再会するマリオンは、ダミエルに対し、主体として私・あなたよりも「広場」(platz)を何度も口にする。すなわち、映画は個人の物語を超えて、新たな社会の胎動と人間のつながりに向けた大きな物語として提示されていたように思えてならない。

先日ポツダム広場を訪れたところ、壁の一部がモニュメントとして残されて開発されており、この映画の雰囲気などまるで感じられない場所となっていた。その何日かあと、壁がなくなってからの時間が、壁が存在していた時間を超えてしまった。

●参照
ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』
ヴィム・ヴェンダース『ランド・オブ・プレンティ』、『アメリカ、家族のいる風景』
ヴィム・ヴェンダース『ミリオンダラー・ホテル』