Sightsong

自縄自縛日記

渡辺真也『ユーラシアを探して ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイク』

2020-05-23 09:35:24 | アート・映画

渡辺真也『ユーラシアを探して ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイク』(三元社、2020年)。

ヨーゼフ・ボイスについて書かれた日本語の本はさほど多くない。過去の一時期に注目が集まったことを除けば、日本でのボイス人気は必ずしも高くない。それは、表現手段がタブローなどではなく、またインスタレーションにとどまらず、アクションそのものであったからかもしれない。またそのアクションも一貫した明確なものではなく、ああ言えばこう言うような分裂したものであったからかもしれない。

だが、この人のアート=思想=アクションは、環境やグローバリズムや血塗られた歴史とどう折り合いをつけるべきかという課題が変貌している今、さらに重要性を増している。

本書からわかるのは、ボイスが、ナチズムという歴史、神話的なもの、ユーラシア的なものにずっと複眼的な視線を向けていたことだ。そのフィルターは、かれが幼少時を過ごしたクレーフェの白鳥城のシンボルであったり(>>リンク)、ウサギという血と肉を持つ生き物であったり、かつてヨーロッパにも版図を拡げたモンゴル帝国であったりした。いずれも正確な検証を経たものではなく、幻視である。

かれがフェルトや獣の脂肪を使ったこともそれと無関係ではなかった。包み込むこと、覆い隠すこと、全体性を持つものとして、アートには不似合いな固くないマテリアルを選んだのだ。

ナムジュン・パイクはボイスとのコラボレーションをさまざまに行った。ロサンゼルスのThe Broadにはこのふたりがジョージ・マチューナスに捧げて1978年に行ったピアノデュオの記録が残されているが(>>リンク)、それも成果のひとつだった。

だが、ふたりのアートを通じた視線は当然違っていた。過去の血塗られた歴史への視線という点にでは、自身の父親が事業を通じて日本の植民地支配に協力していたことへの意識が挙げられている。ナチズムへの視線をあくまで幻視を通じて別の形で提示しようとしたボイスよりも、直接的なものに思える。

そして特筆すべきことは、歴史的な断絶、知識の断絶を克服するものとして、情報やデータをこそ最重視した「エレクトリック・スーパーハイウェイ」が考えられたということであった。パイクにとってのユーラシアはこれであり、かれのアート作品として有名なモニター類はその端子なのだった。パイクのヴィジョンはゴア~クリントンの政治的な力(あるいは剽窃)を経て、いまのインターネット時代につながっている。

●ヨーゼフ・ボイス
クレーフェのエフェリン・ホーファーとヨーゼフ・ボイス
1984年のヨーゼフ・ボイスの来日映像
アンドレス・ファイエル『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』
ミヒャエル・エンデ+ヨーゼフ・ボイス『芸術と政治をめぐる対話』
ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館
ロサンゼルスのMOCAとThe Broad
ベルリンのキーファーとボイス
MOMAのジグマー・ポルケ回顧展、ジャスパー・ジョーンズの新作、常設展ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ

●ナムジュン・パイク
1984年のヨーゼフ・ボイスの来日映像
ロサンゼルスのMOCAとThe Broad
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』
ホイットニー美術館の「America is Hard to See」展