バンコク経由、デリーに向かう便。時間がやたらとあって、大岡昇平『事件』(新潮文庫、原著1977年)を読む。
神奈川県の小さな町で、19歳の工員が、恋人の姉を刺殺する事件が起きる。検察は誘導に基づき自白を引き出すものの、弁護士の細部をえぐるような奮闘によって、次々にあやしい点が見えてくるようになる。検察、裁判官、弁護士の微妙な権力の鍔迫り合い、自白調書が作られることの怖さ、メディアや公判の場での雰囲気の醸成、そして真実というよりも複数の言説がカードのように入れ替わっていく様子などが細かく描かれていて面白い。
もちろん随分と古い話であって、当初の新聞連載は単行本化よりもさらに前の1961-62年である。何しろ170cm代の身長が大柄だとされている時代である。本書には、英米法は応報主義であり殺人は死刑となると書かれているが、現在では状況は一変している(死刑を廃止しなければEUには加盟できない)。これに対し日本では教育刑主義のため軽減される、云々とあるのを読んでいると、さて欧州と比較して、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で明らかにしたようなセンセーショナルな応報刑罰の消滅という観点からどのようにこの死刑現代史を読み解くべきなのだろうと思ってしまう。
帰国して頭痛がひどく(飛行機に弱いのだ)、読書もがっちりした映画も嫌なので、録画しておいたテレビドラマ版『事件』を観る。1993年、「土曜ワイド劇場」である。
弁護士が北大路欣也、検事が西岡徳馬、被害者のヒモが長谷川初範と、このあたりは「いかにも」な感じの配役だとして、被害者役の松田美由紀が実にイメージにぴったり。面白く、観ているうちに頭痛もおさまったが、文庫本600頁弱のディテールで攻める長編小説が1時間半のサスペンスドラマにおさまる訳はない。調べてみると野村芳太郎による映画もあり、弁護士=丹波哲郎、検事=芦田伸介、被害者の妹=大竹しのぶ、被害者=松坂慶子、裁判長=佐分利信など凄い俳優陣。これならばぜひ観たい。
『死の棘』もそうですが、松坂慶子の怖い演技には迫力があるのですね。さらに調べてみるとNHKドラマ版では若山富三郎、大竹しのぶ(ここでも)、いしだあゆみ、殿山泰司、三上寛(!)らが出演しているようで、こちらも観たいところです。