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自縄自縛日記

笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』

2014-05-20 23:03:42 | ヨーロッパ

笠原清志『社会主義と個人―ユーゴとポーランドから』(集英社新書、2009年)を読む。

著者は、ユーゴ解体前のベオグラードに留学生として住み、また、ポーランドも研究のフィールドとして、決して一枚岩の物語でも、権力移行の物語でもありえない歴史を、個人の社会参加、個人史という観点から、両国を観察している。

ユーゴスラヴィアは、戦後、ソ連とは距離を置いた共産主義政権を運営した。それは、冷戦時代にあって、単に独自な社会を希求したということではない。チトーを含む主流派とソ連派との間には、陰惨な闘争があった。人々は、監視社会の下で、息を潜めて生きた。セルビアやクロアチアなどの間の民族主義による暴力的な衝突も、外部からは狂気としか見えないものであったが、それは歴史のひとつの帰結でもあった。

その背景には、著者によると、戦時中の虐殺事件(ヤセノヴァツ収容所など)に対して、ドイツとは異なり、事実と歴史を直視せず、政治的処理で対応してきたことがある。加害者と被害者とを明確に区別できない難しさもあった。それに加え、ドイツとオーストリアがクロアチアとスロヴェニアの独立を支持し、さらに米国が有害な善意で介入したことが、ミロシェヴィッチやカラジッチを生んだ。ある時点での、知性の欠如による民族主義の暴走、では片付けられない。

ポーランドでは、ソ連傘下の共産党支配に対し、ワレサ率いる連帯が抵抗し続けた。その結果、80年代には共産党はかなり無力化し、89年以降の東欧革命において、遂に、連帯が政権参加するにいたった。このことは、もちろん、否定しがたい偉業である。しかし、その一方で、ワレサの権力志向、さらには政権に参加し、大統領に選出され、政権運営したプロセスが、あまりにも非民主的であったことを忘れてはならないという。(これは、アンジェイ・ワイダ『ワレサ』を評価できない理由でもある。)

著者は、かつて共産党政権で権力の一端を握った者たちに対する追跡調査を行っている。かれらの中には、所与の環境下で、「誰かがやらなければならない」仕事をまじめにこなした者が少なくなかった。もちろん、それだけでは、ナチ官吏として自分の仕事をこなしたアドルフ・アイヒマンや、旧日本軍において率先してアジアの人々を殺した兵隊と、本質的なちがいはない。ただ、連帯の側にも、権力にすり寄り、組織の手先として活動した者も多かったことを、同時に考えなければならないのだと書いている。

そして、もっとも大事なことだが、多かれ少なかれ社会参加はなんらかの権力に加担することを意味する。著者の不快感は、その個人史における記憶が、各々自身によって微妙に修正されていることにあった。これも、何も東欧に限った現象ではない。

「・・・成立した政治システムは独自のメカニズムで人々を惹きつけ、彼らの夢や意志まで包み込んで動き始めることになる。このような国家や社会システムの下で、一般の人々は日々、何を考え、職場や地域でどのように生活していたのであろうか。
 この問いかけは、人々それぞれの立場の逆転を意味し、過去との関係で自らを相対化することを求める。つまり、市民一人ひとりが被害者ではなく、場合によっては加害者として過去の体制と向き合うことを求められるということなのである。遠い過去の場面や職場での自分自身を歳月の堆積の下から掘り起こし、今の自分の目で見つめなおさなければならない。」

●参照
アンジェイ・ワイダ『ワレサ 連帯の男』
マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』 


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