Sightsong

自縄自縛日記

デュッセルドルフK20/K21の艾未未とワエル・シャウキー

2019-06-08 11:43:45 | ヨーロッパ

デュッセルドルフでは、近現代の美術館がK20とK21とに分かれている。K21は特に80年代以降のアートに焦点を定めている。

まずはK21に足を運んだ。特別展は艾未未(アイ・ウェイウェイ)である。

もちろん艾は権力との緊張関係をアートにし続けているのだが、そこには様々なアート的要素の引きだし方を見て取ることができる。挑発、相手の利用、自分のキャラ化、商売。おそらくそれらが鼻についてかれのアートを嫌う人もいるのだろうけれど、しかし、この精神的恐竜のごとき物量はさすがである。

展示室に入ったところには多くの古着。それらは壁の無数の写真と同じく、シリアなどからギリシャ・マケドニア国境あたりに流れ着いた難民の人びとのものであった。ホロコーストを意識したクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション「MONUMENTA 2010 / Personnes」アンゼルム・キーファーの立体作品のように、アクセスするたびに身体にかなり近い記憶が喚起される。

難民が乗った船を竹で作った作品も見事だ。それは弱弱しくも強くもあり、向こう側が透けてみえることによって、やはりこちらの想像力を喚起し、そののちに澱を残す。福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想した蔡國強「saraab」、またザイ・クーニン「オンバ・ヒタム」もそうだが、アジアのアーティストにとって、船とは苦難の歴史と直結するものなのかもしれない。

そして世界中の権威ある建物に向かって中指を立てる「Study of Perspective」。これほどあからさまな立ち位置の表明もそうはないだろう。あとでサックスのフローリアン・ヴァルターにこの話をしたら、かれもまた影響を受け、曲のタイトルに使ったと話してくれた。

それ以外の現代アーティストたちの作品は玉石混交(それはどこだってそうだ)。嬉しいことに、エジプトのワエル・シャウキー(Wael Shawky)の映像作品を観ることができた。ガラスなどを使って奇妙な人形を作り、十字軍時代の中東を、イスラームの側から視た映像として作品としている。静かでもあり、奇天烈でもあり、魅せられる。以前にニューヨークのMOMA PS1で驚かされたものだ。DVDがあったら欲しい。

数日後にK20にも足を運んだ(共通券を買っておいた)。ここでも艾未未

四川大地震(2008年)のあと、艾は現地に入り、瓦礫の中から鉄骨を収集し、すべて真直ぐに伸ばした。そこには権力のかたちのメタファーも見出せる。しかし、そんな単純なメッセージよりも、この物量がおそろしさとしてこちらを圧倒する。

犠牲者などの詳細は当局により伏せられたのだが(当時、わたしも中国によく行っており、口コミでいろいろと聞かされた)、かれは学生を動員して、犠牲者リストを作成し、アートとした。サンフランシスコ近代美術館の「Art and China after 1989 Theater of the World」展 で観たときにも思ったのだが、記録こそが現代の呪術であり、それはまたアートでもあるはずだ。

石を粉にしてひまわりの種に整形し、色を塗る作品。ある村で、仕事がない人びとを動員して作った作品である。これもまた信じられないという思いとともにいつまでも凝視してしまう。

●艾未未
「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か


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