ケルンの中央駅前にはルートヴィヒ美術館がある。ここのコレクションを日本で1995年と2010年に観ているのだが(2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展)、直接入るのははじめてである。そんなわけで感無量。
とは言え、いきなり強い印象とともに観たのはニル・ヤルタ―(Nil Yalter)の「Exile Is A Hard Job」展。ヤルターはトルコのフェミニスト・アーティストであり、彼女の最初の仕事のひとつがパントマイムであったり(50年代にインドやイランに入国している)、また、舞台芸術を手掛けたりと、模索的であり型にはまらない。この展示でも、難民たちの生活の写真や何台ものモニターによる映像、キルトによるテントなど、声なき声を先鋭的な声にするようで興味深い。割れたレコードを収集するなど音の記憶の可視化がまた面白い。
あとはコレクション。
アムステルダム市立美術館でも凝視することができた、ルーチョ・フォンタナの裂け目の立体構造。
ヨーゼフ・ボイスのインスタレーション。ふにゃふにゃの電動機がすべてを無力にする。
エドガー・エンデの30年代の作品。ナマで観るのは、昨年、ある法人の中に飾られていて驚いたとき以来である。この謎が謎のまま残された感覚が良い。
マックス・エルンストのフロッタージュ作品。日本での紹介の際、1995年には「月にむかってきりぎりすが歌う」、2010年には「月にむかってバッタが歌う」と訳されている。Sauterelleがきりぎりすなのかバッタなのかわからないが(ここではgrashopperと英訳されている)、いずれにしても、ぞわぞわとしたものが壮大なイメージを創出しており素晴らしい。
パブロ・ピカソの「草上の昼食」。ピカソはマネの傑作をもとにしてさまざまに発展させており、これはその中のひとつだろう。天才の換骨奪胎には笑ってしまうが、それは、もとのマネの絵が大きなイメージの源泉であったことも意味している。小さい頃に画集で観てもなにがおかしくて何が面白いのかピンとこなかったのだが、いや、オトナ向けの作品である。
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次にコロンバ美術館に足を運んだのだが、残念ながら休館日。ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館に入った。
展示は1階から3階まであり、それぞれ、中世、ゴシック、19世紀。受難や聖血や悪魔の絵などをたくさん凝視したあとに、ルーベンスやレンブラントの深みのある描写をいきなり目にすると、その特別さに驚くものだ。
そしてアルノルト・ベックリン。この過剰にドラマチックで運命的な世界がやはり世紀末である。もちろん中世から近代まですべてを地続きのヨーロッパとして観ていくべきなのだろうけれど。