戦後も中国の山西省に残留した旧日本兵たちを追った映画、池谷薫『蟻の兵隊』(2006年)。なかなか上映会に行く機会がなく観逃していたが、DVDがレンタル店に置いてあった。
あまりにも奇天烈な話だ。山西省に駐屯した北支那派遣軍第一軍は総勢59,000人だった。そのうち2,600人が敗戦後も山西省に残留し、国民党軍の一部として、なお八路軍(共産党、人民解放軍)と4年間も戦闘を継続する。兵士たちには、敗戦ではなく、捲土重来してあらためて日本帝国のための戦争に備えるのだという軍命が下されていた。共産党に敗れ、虜囚ののちに帰国した兵士たちは、軍命ではなく現地除隊ののち自ら選んで行動したことにされていると知る。
映画の主役、奥村和一氏らは、軍命の存在という真実を国に認めさせるべく行動する。どうやら、上官がA級戦犯になるのを回避するため、国民党と密約を結んだという事実が浮かび上がってくる。しかし最終的に、最高裁は上告を棄却する。国が、旧日本軍の組織的な動きを認めようとしないことは、沖縄戦に関するものとまったく同様だ。
あらためて、奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった』(岩波ジュニア新書、2006年)を買ってきて読んだ。奥村氏の証言によれば、元兵士たちは、ポツダム宣言の内容すら知らされていなかったという。そして、捕まりそうになったときのための手榴弾を渡されていることも、沖縄戦での住民への対応と重なる。
「私たち負傷兵はみな手榴弾を一個渡されていました。前に述べたように、「生きて虜囚(捕虜)の辱を受けず」という戦陣訓どおりに、敵に捕まる前にこの手榴弾で自決しろということです。馬に乗せられない人間、脱出できなかったほとんどの人間は自決しました。だから、自決しないで捕まった人間はそんなにいません。」
奥村氏は戦後60年も経って山西省を訪れ、記憶にある場所に立ち、住民虐殺の目撃者や被害者の家族に会い、自分は兵士としてあなた方を殺したのだと告げる。軍隊という組織で殺人マシーンにされ、挙句に国に裏切られた者による、自らの再構築をおこなうことへの執念か。
本書の表紙には、先日訪れた山西省の省都・太原の永祚寺の写真がある。その太原には、戦犯管理所があったという。実際に見た山西省や河北省の風景と、映画に出てくる風景とは当然ながら共通している。その場において、残虐行為が行われ、兵士たちが残留していた。そして歴史は改竄され、生の記憶は失われつつある。私は同じ空間を共有しても歴史は共有していない。なんということだろう。
自決を強要されて死んでいった多くの人々に対し、自決せずに生きのびて「強要はなかった」と言い張る人の心はどうなっているのか・・やはり悪人というのはいるのだな、と思います。
彼らには想像力が極度にないんでしょうね(そうとしか思えない)。それ以上に、同調して知ったような似非見識を持つ人々に嫌悪感を覚えます。
それにしても、山西省の旧日本軍の歴史、ここまでとは思いませんでした。私は無知のために、同じ風景を見ていても違うものを見ていたことになります。