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自縄自縛日記

ミシェル・フーコー『言説の領界』

2014-12-28 01:21:07 | 思想・文学

ミシェル・フーコー『言説の領界』(河出文庫、原著1971年)を読む。フーコーによる1970年の講義録である。

フーコーは、言説には3つの大きな抑制のシステムが課されているとする。第一に、タブー。第二に、狂気を「そのもの」ではなく分割すること。第三に、真理への意志。

特に異質かつ重要視されている第三のシステム。それは脚注というあり方にあらわれているように、相互引用的であり、繰り返しである。すなわち、言説自体は既にオリジナルなものではありえず、当然、誰が語ったのかということは大きな問題ではなくなっている。

ただしそれは、統一的で連続的な大きな母集団に還元されるわけではない。そうではなく、あくまで言説のバウンダリはその言説のレベルにとどまる。言説というお互いに不連続な平行世界があるのだということ、それは、講義前年の『知の考古学』でも提示したことに近いのだろうと思える。

こういった抑制のシステムが発達した背後には、言説の共有やロゴスに対する人々の恐怖があるという指摘がある。なるほど、独占することまでは不可能であっても、言説の使い手を一部の者に制約したいという大きな意思があるわけだ。(フーコーは、抑制のシステムを回避しおおせようとするという点で、ニーチェ、アルトー、バタイユらを評価している。)

確かに、この議論に、70年代以降の権力論につながるリンクを見出すことができるのだと言われれば納得する。相変わらず騙されているような気がするのだが。

●参照
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(1970年代)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
重田園江『ミシェル・フーコー』
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』
廣瀬純トークショー「革命と現代思想」
廣瀬純『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』


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