Sightsong

自縄自縛日記

浦安・行徳の神社

2007-01-04 14:54:42 | 関東

千葉県の東西線沿線(浦安~妙典あたり)には、いくつもの神社がある。この年末年始は妻が身重で動けないので、安産祈願を兼ねて、散歩がてら、まわってみた。まあ暇潰しそのものである。

「(略)母親が重態になったときにも、同じようにお百度詣りをした。しかし、私はいまだにその神社がどんな神を祀ったものであるか知らないし、おそらく当時の村人も大半が知らなかったであろう。お百度詣りをした昔でもそんな具合だから、まして現代では、近所の神社に祀られた神を知る人間はほとんどあるまい。しかし、だからといって神社が人々と無関係かというと、そうでもない。」(山田風太郎、芸術新潮1996年3月号)

■神明神社 (市川市本行徳)
天照(アマテラス)、豊受(トヨウケ)を祀っている。それぞれ伊勢神宮の内宮、外宮の祭神であり、日本神話ではアマテラスが高天原を治める最重要神である一方、トヨウケは天照の食物を担当する神とされている。しかし、古代の記紀神話における地方神からの昇格以降、政治上・宗教上の勢力争いを経て、両者が共に祀られることも多いようである。16~17世紀頃に「金海法印」という山伏が、伊勢内宮の砂を持ってきたことが始まりとされており、この人物が徳が高く「行徳様」と云われたことが、行徳の地名の由来とされる(「行徳郷土史事典」鈴木和明著、文芸社)
猿田彦(サルタヒコ)の碑もあった。サルタヒコはアマテラスの孫ニニギの降臨時に道案内をした神だが、もともとアマテラスと同じ1つの太陽霊とみる説がある(「アマテラスの誕生」筑紫申真著、講談社)
大きな欅、銀杏の樹があるが、枯れた所為か上で伐られている。松の養生も大掛かり。
初詣にお参りしたら、蜜柑を頂いた。

■日枝神社 (市川市相之川)
オオヤマグヒノカミを祀っている。神社内の掲示では、大国主神(オオクニヌシ)と同様に素盞嗚尊(スサノオ)の子孫と説明している。なお、スサノオは高天原を追われた乱暴者(アマテラスの弟)であり、オオクニヌシはアマテラスに請われて国を天孫ニニギに譲ることになっている。オオヤマグヒノカミはもともと比叡山の神(ヒエ)であり、最澄が入ってから、天台宗延暦寺の鎮守神とされている(「日本宗教事典」村上重良著、講談社)
また、境内に新しい御神輿が展示してある。金ピカで目を奪われる。
近くに徳川家康が狩に行くときに通った「権現道」があるが、いまはただの小道。

■熊野神社 (市川市新井)
はやくから山岳信仰の栄えた紀伊半島の熊野神社だが、この神社の掲示には、そのあとに「(イザナミノミコト)」と追記がしてある。イザナギノミコト(アマテラスやスサノオの父)とともに日本の島々を作った神、黄泉の国へ行った恐ろしい神だが、何故ここで同一視されているのだろう。
日露戦争記念碑があり、出征者の名前が刻まれている。日露戦争記念碑は八幡神社(市川市上妙典)、胡録神社(市川市関ヶ島)、源心寺(市川市香取)にもあるらしい(前出「行徳郷土史事典」)

■豊受神社 (浦安市猫実)
前出のトヨウケを祀っている。ここでもアマテラスとともに祀っているようだ。
境内に江戸以降の富士信仰による小さい富士塚が、浅間神社として祀られている。山の上には、山岳信仰のためか立派な天狗がいる。
また、樹齢300年以上の立派な銀杏の樹があり、乳が垂れているような形が面白い。子供が産まれた後に母乳がよく出るようになる縁起とのことで、身重の妻は、早速両手であやかっていた。

■清瀧神社 (浦安市堀江)
浦安ならではの海の神を祀っている。ここにも大きな富士塚がある。
また、立派な欅の樹が何本もあっていい気持ちになった。

■稲荷神社 (浦安市当代島)
京都の伏見稲荷が源流で、穀物に関連する現世利益神。ウケモチノカミがツキヨミノミコト(アマテラスの弟)に殺されたときに身体から稲がはえたとされている。また空海・真言宗との結びつきが強く(密教と狐のイメージが今ひとつダブらないが)、東寺の鎮守神となっている。ここの鳥居にはトヨウケの字もあるが、同じ食物に関連する神だからかな。
ここにも富士塚がある。
浦安の豊受、清龍との三社で「三社祭」が、4年に1回行われている。次回は2010年。


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