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自縄自縛日記

『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』

2012-05-22 23:51:06 | 沖縄

テレビ朝日の「ザ・スクープ」で、『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』という特集が組まれた(2012/5/20)(>> 動画サイト)。

2007年7月に、かつて沖縄の北部訓練場において枯葉剤が使われていたと報道されたことには驚いたのだったが、わたしはそれ以降の動向を把握しないでいた。この番組を視てさらに驚愕。ちょっと散布しただけではないし、場所もやんばるの森の中だけではなかった。何と1960年代から70年代にかけて、ベトナム戦争を想定して訓練のために使用し、また日常的に除草剤として散布し、さらには大量に埋めたりもしていたというのである。

それだけではない。太平洋戦争末期、米軍は日本での枯葉剤散布を計画していた。もし実施されていたら、ベトナムのように、多くの人が奇形や障害で苦しみ続けたであろう。

枯葉剤は「エージェント・パープル」や「エージェント・オレンジ」というタイプが主で、甘い匂いのする油性の液体であった。「エージェント・オレンジ」のドラム缶にはオレンジ色のラインが描かれていた。

○米軍は、太平洋戦争末期、東京、横浜、大阪、名古屋、京都、神戸の稲作地帯に、チオシアン酸アンモニウム(枯葉剤の前身)を散布する計画を立てていた。しかし、原爆投下により、計画は中止された。
○ベトナムでは、いまだ何代にもわたって奇形児や障害児が産まれ続けている。医師は「いつになれば終わるのかわからない」と言う。結合双生児として産まれたグエン・ドクさんもそのひとり(もうひとりのベトさんは2007年に亡くなった)。
○沖縄の北部訓練場は1958年につくられた。ベトナム戦争の訓練場を目的とするものだった。そこでは架空の「ベトナム村」が設置され、ベトコンを想定した黒い衣装の人を小屋に配置した。そして何と、ベトコン役として、米兵のみならず多くの地元民が徴用された。そこで米兵は2週間~1ヶ月昼夜を分たず訓練し、ベトナムへと向かった。(米国立公文書館所蔵の「ゲリラ・トレーニング」という1962年撮影の映像が紹介される。)
○北部訓練場近くの東村高江では、湧水を飲料水として利用していたが、当時、多くの人が若くして亡くなり、ほとんど60代、70代の人はいなかった。また、やんばるの森の中では、奇形のカメやカエルが数多く見られた。
○北部訓練場だけでなく、嘉手納基地嘉手納弾薬庫キャンプ・シュワブ(辺野古)泡瀬通信施設ホワイトビーチキャンプ瑞慶覧キャンプ・コートニーなど、多くの米軍基地で、枯葉剤がフェンス近辺の除草目的で使われていた。被害は米兵のみならず、周辺住民にも及んだ。また、野菜の奇形などもあった(1968年、嘉手納弾薬庫近く)。
○枯葉剤は、ベトナムへの途中にすべて沖縄に運ばれた。那覇軍港やホワイトビーチから、多くの基地に輸送された。荷役担当の米兵は、そのときに漏洩した枯葉剤を浴びた。
○沖縄には1962年頃から持ちこまれた。米国は1971年5月にベトナムでの枯葉作戦中止を決定し、また、1971年1月のレッド・ハット作戦(嘉手納弾薬庫の化学兵器をジョンストン島に輸送)において、おそらく枯葉剤も輸送した。しかし、それ以降も枯葉剤は使われ続けた。伊江島では1973年に、普天間基地キャンプ瑞慶覧では1975年頃まで、散布されていたことがわかっている。
キャンプ・シュワブ(辺野古)では、枯葉剤は海に流れ出し、その影響で砂浜が漂白したような様子になり、サンゴは灰のようにぐずぐずとしたものになり、また、ハマグリはコールタールのようにまっ黒となっていた。2011年9月、名護市議会は米国に対する環境調査の要請を決議している。
○1969年1月、那覇港のリーフで輸送船LST600が座礁し、そのときにダメになった枯葉剤のドラム缶が、北谷町(キャンプ桑江返還地)に埋められた。なお、日米地位協定においては、返還後に米国は土地回復の責任を問わないこととされている。
○米国政府は、沖縄で枯葉剤を使ったことはないと完全否定している。その一方で、退役軍人省は、元米兵たちの発症した病気(糖尿病、皮膚障害、癌、多発性骨髄腫など)を、枯葉剤によるものだと認めてきている。
○日本政府は、米国の公式見解を確認するにとどまっている。韓国では、2011年5月に「ハンギョレ新聞」の報道により、1978年にキャンプ・キャロルに枯葉剤を埋めたことが明らかとなった。そして抗議運動が高まり、即座に米韓合同調査が実施されている(地下水から枯葉剤の成分が検出されたと発表)。この韓日の違いは、対照的な政府の姿勢を如実に示すものだ。

●参照
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
東村高江のことを考えていよう(2007年7月、枯葉剤報道)
戦争被害と相容れない国際政治
森口豁『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(毒ガス兵器のジョンストン島への輸送)


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