田中克彦『モンゴル―民族と自由』(岩波同時代ライブラリー、1992年)を読む。
本書は、主にペレストロイカ後の激動期において、モンゴルがソ連~ロシアという主から離脱したプロセスを、ルポのような形で描いている。
モンゴル革命を経て社会主義国となったモンゴルだが(1924年)、実態として、すべてソ連の権力に強くしばられることになった。革命の英雄スフバートルも、何人もの首相も、ソ連にとって都合が悪くなると殺された。その一方で、スターリンにすり寄ったチョイバルサンのような為政者もいた。
このあたりの高圧的なソ連化は、政治体制だけではなかった。ブリヤートやトゥヴァは無理やりソ連の領土に入れられ、言語も奪われ、文化は塗りなおされた。著者によれば、トゥヴァとモンゴルとの間の国境線に不自然なところがあり、それは、塩が取れる場所をソ連が奪ったからだという(その結果、遊牧民はたいへんな犠牲をこうむった)。もちろん塩だけではなく、モンゴルの資源はソ連が収奪するためにあった。だからこそ、ペレストロイカ後、政党によらず、モンゴルはソ連~ロシアから離れることを強く望んだのである。現在モンゴル南部の資源開発が進められており(ちょっと足踏みしてはいるものの)、これが経済発展の目玉とされているのだが、この状態も歪められた歴史の結果としてあるのかもしれない。
民主化の時期に、自国の歴史を正当に再評価しようという動きもあったようだ。そのひとつがノモンハン事件(1939年)である。重要な視点として、関東軍の暴走であった、あるいは辻政信のような特異な人物の動きによるところ大であった、とする日本人の多くの見方は、天皇と日本帝国を免罪するはたらきを持っているのだ、という指摘がある。ノモンハン事件によらず、そのような力学が働いていることも少なくないのかなと思う。
それから、日本~満州に対して、ソ連~モンゴルという関係を対置してみるという視点もある。