今西錦司『遊牧論そのほか』(平凡社ライブラリー、原著1947年)を読む。
今西錦司は、戦中・戦後に、内モンゴルの調査旅行を行った。本書は、その際に、この生態学者が書きつけた思索の記録である。
もっとも、海外踏査が困難であった時代であるから、判断材料は極めて限定されたものだったに違いない(たとえば、著者は、外モンゴルのゴビ砂漠には植生がほとんど無いと書いているが、実際にはそうではない)。社会や文化も含めて、実際に身を置いて思索を重ねた上で出されてきた「理論」である。したがって、正しいかそうでないかというよりも、今西錦司という人の思索過程に付き合うことの味わいに価値がある。
遊牧ということについては、内モンゴルの植生分布や、牛、羊などの家畜の特性から検討を進めている。その結論として、ヒト中心の事情によって、狩猟文化から農耕・定住文化を経たあとに行いはじめたのではなく、動物の群れとしての動きにヒトが合わせていったのだと考えている。このことも単純な「正解」というわけではないようだ。
著者は、大陸において日本の敗戦を経験した。同年の10月に北京で書かれた文章は、さすがである。
「けっきょく敗走である。敗走でしかない。この数年来日本人は何万と進出してきたが、軍はもとより、一般居留民も、日本人は日本人だけの社会をつくろうとした。その社会と現地民の社会とは遊離していた。日本人は安くで配給物をうけとり、日本人はいわゆる治外法権の特権階級として、現地民の社会にまで根をおろす必要を、ほとんど感じないで暮らしていた。この日本人の社会が風に吹かれて動揺するとき、これをとどめる力は、現地民の社会からでてこなければならないということを忘れていた。」
「敗走はけっきょく日本人のつくった、浮き草のような日本人社会そのものの敗走である。」