Sightsong

自縄自縛日記

粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』

2010-04-16 00:50:44 | 環境・自然

粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』(海鳴社、2007年)。先日、浦安のシンポジウムでたまたま隣に座り、著書をいただいた。表紙はオーストラリア・パース郊外の奇岩地域・ピナクルズである。

地球温暖化、核汚染、化学物質、遺伝子操作といった問題群を、告発するように訴えかける。著者の粟屋氏(四日市大学教授)は物理学者でもあり、その視線が他の書にない特徴となっていると感じさせられる。例えば、マクロな現象とミクロな現象(原子レベル、素粒子レベル)とを比較して論じており、自然のプロセスにないミクロ領域への進出を野蛮だと断じるロジックには説得力がある。また、熱力学を引用しながら現代社会の「エントロピー地獄」を論じる下りもすぐれている。

かたや、書店では、自称・科学者が書いた温暖化否定論のようなものが売れているようだ。中には科学的な議論を中心に据えたまともなものも無くはないが、大抵は呆れてしまうような半可通の噴飯物だ。これがまた、自称・リベラルに影響しているのが困りもので、おそらくこの背景には市場中心主義への過剰な反発や、民主主義の不在による陰謀論への反動があるのではないかと思うことがある。

欧州では、温暖化否定論者は、ホロコースト否定論者と同レベルの存在として「denier」と称されるという。知り合いの英国人は、議論さえ許されないような雰囲気はちょっと極端で、日本ではそんな本が出るだけまだ健全じゃないかと話していたが、果たしてそうか。科学を判断基準にする文化が希薄というだけではないのか。本書のバランス感覚は、その歪みへの回答となりうるものだ。勿論、ここに書かれているのは科学万能主義などではない。

本書で、栗原康『有限の生態学』が大きくフィーチャーされている点は嬉しかった点だ。短い本ながら、学生の頃に読み、生物多様性についての記述に強く印象付けられたものだった。


犬を放して散歩させるんじゃない

2010-04-13 23:57:02 | 政治

千葉の浦安界隈、行徳界隈で、大きな犬に紐を付けずに散歩させている輩がたくさんいる。かなり怖い。小さい子どもを連れていたりすると、怖いでは済まない。犯罪的である。先日などは、不快な顔をしていたら、あろうことか睨みかえされてしまった。どうなっているのか。

調べてみると、ちょうど市川市議会で、並木まき市議が同じ趣旨の一般質問をしていた(>> リンク)。ただ、あくまでドッグラン整備がポイントのようだ。

さっそく並木市議に連絡したところ、返事をいただいた。

知らなかった。放し飼いは「犯罪的」なのではなく、「犯罪」なのだった。千葉県条例でも放し飼いは禁止されている。並木市議は、犬の飼い主が必ず立ち寄る場所でのマナー・モラルの啓発活動と、ドッグランの整備とを、提案しているということである。現在市川市内にドッグランが2箇所あり、時期未定ながらあと3箇所設置予定があるという。

しかし、望ましいのはわかるが、住宅地に十分な面積のドッグランを作るなど何年かかるのだろう。ドッグラン設置よりオロカな飼い主教育のほうが圧倒的に重要なのではないか。成果はドッグランという形ではなく、クレームと被害の数の減少のはずである。


市川塩浜のドッグラン


ジル・ドゥルーズ『フーコー』

2010-04-13 00:15:49 | 思想・文学

ジル・ドゥルーズが、ミシェル・フーコーの死後ほどなくして書いたフーコー賛の書、『フーコー』(河出文庫、原著1986年)。

扇動、変奏曲、斜め横断、反響。まるでツイッターのように、無数のつぶやきに満ち、それが、ざわめきと化している。晦渋ではあるが、このざわめきを可視化前段階のイマージュとして脳内に漂わせること、それを意識して読んだ。

ドゥルーズが提示するフーコー世界のイマージュは、たとえば、エーテルが充満したひとつの世界における力の生成、伝達、応答が、また別の世界でも別の姿であらわれる、そんなものだ。複数の世界はトポロジカルに類似するが、言語上類似するという意味からも、可視的に類似するという意味からも、微妙に隔たっている。フーコーが権力と言うとき、それは大きな中心から手を伸ばしたようなものではなく、国家政治でも、家族でも、トイレでもトポロジカルに発生し、伝達し、応答するものを暗示している。

従って、『監獄の誕生』において重層的に見せた監獄なるものは、病院でもあり、学校でもある。勿論、『監獄の誕生』は、直接的に、監獄が犯罪を再生産し(これは、監獄があるから犯罪が起きるのだ、という意味ではない)、法が囚人を再生産するといった近代の<バッファー>の有り様をあからさまに提示した優れた書として読まれるべきでもあるだろう。ドゥルーズのテキストが、フーコーの触手を描いてみせたということに過ぎない。「フーコーは『監獄の誕生』において一望監視装置(パノプティコン)という概念を・・・」などとキーワード的に引用している言説の貧しさは、このテキストの対極にある(たとえば、テレビで稼ぐ脳科学者とやらの乱発する本)。

ドゥルーズは、<見えるもの>と<言語たるもの>との間に存在を揺れ動かさせ、それらの揺動の力を<襞>として思考する。折りたたまれた<襞>こそが自己であり、そこに人間の可能性を見る。つぶやきとざわめきを潜り抜けたとき、妙な感動さえ覚えた。

●参照
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』


ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー

2010-04-11 22:41:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギルがベースのフレッド・ホプキンス、ドラムスのスティーヴ・マッコールと組んだユニット、エアーでは、さまざまなレーベルで演奏を記録している。その中で、1978年にAristaに吹きこんだ2枚だけは、おそらくCD化されていない。

エアーの作品(録音順)
■ AIR SONG (Whynot, 1975録音)
■ WILDFLOWERS 1 (1976録音)(※オムニバスでありこのうち1曲のみ)
■ LIVE AIR (Black Saint, 1976・77録音)
■ AIR RAID (Whynot, 1976録音)
■ AIR TIME (Nessa, 1977録音)
■ OPEN AIR SUIT (Arista, 1978録音)
■ MONTREUX SUISSE AIR (Arista, 1978録音)
■ AIR LORE (RCA, 1979録音)
■ AIR MAIL (Black Saint, 1980録音)
■ 80°Below '82 (ANTILLES, 1982録音)(※邦題『シカゴ・ブレイクダウン』)

■ OPEN AIR SUIT(1978年2月21,22日)

「オープンエアー組曲」といった冗談なのか。この組曲には変わった趣向が施されている。A面は「First Hand」、B面は「Second Hand」と題され、「ロイヤル・フラッシュ78回転」、「宇宙的肛門」(ジャケットの猿か?)などといった手が繰り出される。

演奏の印象としては、カードゲームの複雑なルールのようにギクシャクしており、各人の音も次々に違う技を開陳するかのようだ。言ってみれば、音の絡みのショーケースである。そんな中で、B面では唐突にバリトンサックスが勢いよくベースと組み合う。スレッギルのバリトンはあまり例がなく、これだけでも面白い。

■ MONTREUX SUISSE AIR(1978年7月22日)

1978年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演したときのライヴ録音である。いまだ続くこのフェスのデータベース(>> リンク)で調べてみると、同じ日のステージには、ムハール・リチャード・エイブラムスとオリヴァー・レイクのデュオや、ファラオ・サンダースらが登場したようであり、タイムスリップできればどんなにいいことかと夢想してしまう。

曲は盤の順の通りであり、最後に「ペイル通り」という短い曲(他の盤でも演奏している)のみ省略されている。

1曲目では、スレッギルはアルトサックスで参加する。まだステージで有機的に結びつく前の手探りの感がある。2曲目はテナーサックスである。このドラマチックな展開は特筆すべきだ。ジル・ドゥルーズのテキストを読みながら聴いていると、時間の進行に伴う展開とはまた異なる様相がイメージされてきた。音の雰囲気というエーテルがつまった三次元空間において、スレッギルのサックスは反復し、空間に揺らぎを与え、再結合を作り、相転移する。これは演奏者間のインタラクションとは雰囲気をかなり異にしている。知的でアナーキーな小編成の即興音楽は、のちにスレッギルが組み上げる高濃度・緊密な音楽とは異なるようでいて、実は底流が見えていたということかもしれない。

ライヴならではだが、ベースやドラムスのソロを十分に聴くことができるのも嬉しい点だ。マッコールのシンバルは聴きごたえがある。(ところで、ジャケットの妙なイラストはマッコールによるものだ。)

B面では、ベースとドラムス・パーカッションとのデュオが延々と続く。音が割れたパーカッションも含め、破綻しそうなスリリングさがある。10分以上も経った頃、スレッギルがバリトンサックスで乱入してくる。フラジオ奏法での高音を繰り出してくる様は、まるで破れかぶれであり、破綻のエッジでの舞踏のようであり、文句なしに素晴らしい。

改めて聴いてみて、エアーの最高傑作かもしれないという印象を強く抱いた。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1) 『Makin' A Move』
ヘンリー・スレッギル(2) エアー
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス


ブライアン・デ・パルマ『ミッション・トゥ・マーズ』『ファム・ファタール』

2010-04-11 00:11:35 | 北米

休日。ブライアン・デ・パルマの愚作、『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)と『ファム・ファタール』(2002年)を観る。ああ馬鹿馬鹿しい。

飽くなきスタイルの剽窃を繰り返す鈍器のような巨匠である。デ・パルマの奇妙な魅力を、誰か見事に説いていないだろうか。『映画秘宝』か。『キャリー』とか、『殺しのドレス』とか、忘れられないしょうもない作品は多いのだ。

●参照
ブライアン・デ・パルマ『リダクテッド 真実の価値』(2007年)


ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス

2010-04-10 12:01:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギルがサイドマンとして参加した異色盤として、リュウ・ソラ『Blues in the East』(Axiom、1993年)がある。ソラは作曲家、小説家でもあるが、ヴォーカリストでもある。ここではすべての曲を作曲し、京劇の女役のようなヴォイスで漂い、物語を語る。

盤は2つの物語からなる。「The Broken Zither」(壊れた琴)は、琴を持ち、冒険を求めて旅する音楽家が親友に逢い、失う物語だ。スレッギルのサックスは、2曲目、4曲目、6曲目に現れる。アミナ・クローディン・マイヤーズのオルガンやソラのヴォーカル、さらには(ラスト・ポエッツの)ウマー・ビン・ハッサンのラップとも絡む。スレッギルが発する切実なアウトした音は、「陽」で「躁」のラップとは極めて親和性が高い。

それらの曲と交互に現れるアジア的・瞑想的な曲では、なんとネッド・ローゼンバーグが尺八などを吹いている。こういった構成の妙があり、7曲による組曲はまったく飽きることがない。

もうひとつの物語、「Married to Exile」は、文字通り、故郷の中国から政略的に追われ、モンゴルの王に嫁がされた皇帝の愛人・王昭君の嘆きを紡いでいる。ここでも時にスレッギルのサックスが異物としてまろび出てきて嬉しくなるのだが、聴きどころはむしろマイヤーズとジェームス・ブラッド・ウルマーによるコテコテのブルースだろう。ブルースそのものが、米国において、異物性を前面に押し出した音楽だと言うこともできるから、このミクスチャーの迫力には仰天させられる。そして、マイヤーズの通りの良いヴォイスがまた嬉しい。

ラップとの絡みということで言えば、同じ年に録音された盤、ビリー・バング『hip hop be bop』(ITM、1993年)が面白い。ビリー・バングはヴァイオリンを弾かず、ここでは作曲に徹している。(そういえば、スレッギルが参加したバングの『Viet Nam / Reflections』はまだ聴いていない。)

ふたりのラップ・ヴォイスにギター、そしてスレッギルのサックスとクレイグ・ハリスのトロンボーン。ここでも、スレッギルの音とラップとの親和性が明らかになっている。逆に、トロンボーンはこのような文脈ではひたすら間抜けに聴こえてしまう。

緊密に組み上げられたスレッギル・サーカス・ミュージックも良いが、このような異物スレッギルも悪くない。もとよりヴォイスとの絡みの素晴らしさは、New Air『Air Show No.1』でのカサンドラ・ウィルソンとの共演(何しろ、かつて夫婦だった)や、ごった煮『Carry the Day』で証明されている。

ジャズの文脈でのラップとの共演は、たしか、ゲイリー・トーマスの試みから話題になったのではないかと記憶しているが、最近では、御大アーチー・シェップもそのような盤を出していた。異種格闘技的な、『Stolen Moments: Red Hot+Cool』というオムニバスもあった。このあたりの拡がりをもう少し探ってみたいところだ。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1) 『Makin' A Move』
ヘンリー・スレッギル(2) エアー
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集


鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』

2010-04-07 22:12:19 | 沖縄

一方的に敬愛している存在、鎌田慧。その鎌田慧が沖縄について書いてきた文章が集められた書、『沖縄(ウチナー) 抵抗と希望の島』(七つ森書館、2010年)。

辺野古、高江、いわゆる「集団自決」、白保、海洋博、伊江島。これらをめぐる問題について、ずっと心に留めていたり、関わっていたりする人にとっては、既に知っている話が多いかもしれない。しかしそれは、鎌田慧がリアルタイムでことばを発信し続けていたことのあらわれであろう。そして、その言葉はいつも最も痛い箇所を衝き、欺瞞を暴く。

高江住民のヘリパッド増設反対に関して、多数のための幸福を少数者が邪魔するとの言い方がある。これに対して、次のように言う。

基地反対はアメリカの感情を害して、日本の国益に反する、という脅しに似ている。奴隷の論理である。
 それには、少数を犠牲にした大多数の幸福を、はたして幸福と認められるのか、という論理をたてるしかない。まして、新軍事基地の建設に幸福などあるわけがない。

その脅しこそが「神話」に基づくものであることは明らかなのだが、問題はその神話を再生産し続ける大手メディアにもあるだろう。神話を維持するための被害や受苦に何も策を講じようとしない為政者にも責任があるだろう。その欺瞞を衝く。アジアの安全保障についての発言を「虚言」だと表現し、政治家たちの無策を「自己保身のぶざまな姿」と表現して。

海洋博をはじめとする大規模な公共工事に関しては、結局は本土資本に還流されるオカネの流れを観察し、歩留まりを2割だとする。それだけでなく、一時的な、決して生活や仕事から生み出されたわけでないオカネ、オカネの威力を発揮するためだけのオカネに、生活を破壊された人々の姿も追っている。これが沖縄にとってのひとつのヤマトである。そしてこれは、直接、戦争の記憶とリンクしていたという。海洋博のあと何年も経ってから同じ人を訊ねる行動など、鎌田慧ならではのものだ。

成田空港について論じるとき、鎌田慧は、「かすかな心の痛みを感じながらも、成田から飛び立っている。なにか知り合いの頭を踏みつけているような、後ろめたい気がうるのだが。」と書いていた。ここでは、次のように書いている。想像力がわが身の潜在的な罪にまで及んでいるのだ。このような精神を、いまの与党の政治家たちはごくわずかでも共有しているだろうか。いや、あるいは、私たちはごくわずかでも共有しているだろうか、と問うべきかもしれない。

ただわたしは、沖縄のひとびとが、「”母国”がわれわれに何をしたのか」と問いかけて来たとしたら、ただ顔をそむけて逃げるだけになるのが、とても辛い。

●参照
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)


千葉でもどこでもクルマは人なんか見ない

2010-04-04 22:19:45 | 政治

『東京新聞』の千葉版(2010/4/4)に注目すべき記事がある(>> リンク)。

千葉県警交通規制課が、千葉市中央区の信号を対象に14時間調べたところ、歩行者が渡ろうとしているのに一時停止する自動車の割合が、わずか10%に過ぎなかったという。一方、別途行ったアンケートによると、「いつも停止する」が57%、「時々停止する」が35%と、まるで反対の結果である。まったく自動車を運転しない過剰反応者の私から見れば、実態に近いのは明らかに前者である。凄い勢いで迫ってくるクルマは珍しくはないし、前のクルマが左折・右折しているとき、便乗して追従するクルマはとても多い。

この結果を受けて、千葉県警の担当者は「横断歩道への信号設置や歩車分離式の信号への改良などを検討する」と語っているという。当然である。クルマというものは殺人兵器であり、いかなる人格も戦車に乗れば消えてしまうからだ。県警が「対策」として、マナー教育だとか標語の設置だとか無意味なことを掲げていないのはまだ良いが、決して安心できない。

千葉県の歩車分離式信号の設置状況を見たところ、2009年3月末のデータに更新されていた(>> リンク)。およそ3年前に調べたデータと比較すると、千葉県全体で134箇所から151箇所に、浦安・市川で8箇所から11箇所にわずかだけ増加している。とは言っても、例えば「市川市南行徳2丁目3番1号先」については、「スクランブル式」と「歩行者専用現示方式」との両方にカウントされており、曖昧である。「歩車分離式を進める」とは何年も前から標榜している対策であり、この牛歩ぶりは決して評価できまい

ついでに、千葉県の「交通事故多発交差点ワースト50」(>> リンク)を見ると、私が歩車分離式にすべきだと県警に投稿した交差点「市川市相之川3丁目14番2号先」が、2008年において、第6位にランクインしている(>> リンク)。8件の重軽傷事故が起きており、死亡事故は幸いにしてないものの、そんなのは紙一重である。

ちなみに、この交差点に関しては、2007年1月、県警より、「さらなる渋滞を引き起こすため却下」との連絡をいただいている。仮にそうだとしても、それは別の問題であり、渋滞対策を行えば良いことだ。渋滞とイノチを天秤にかけるようなことはせず、危ない場所はひとつひとつ潰していかなければならないだろう。私の意見を取り入れていれば、これらの事故だって起きなかったかもしれない。なお、直接電話したときのイヤ~な体験については省略する。

●参照(これまでの経緯)
>> 道路は危ない


炬燵猫

2010-04-03 00:06:38 | 写真

何年前だったか、伊東の炬燵猫。ストロボ一発、エスピオミニで。

暖かくなってくれないと写真のプリントができない。


炬燵猫 Pentax Espio Mini、TMAX400(多分)、Gekko 3号

●参照
萩原朔太郎『猫町』、清岡卓行『萩原朔太郎『猫町』私論』
伊東、Pentax M35mmF2.0

魯迅『朝花夕拾』、イワン・ポポフ『こねこ』
沖縄県東村・高江の猫小
沖縄県・久高島の猫小
土屋景子『猫のいる島』


柳澤健『完本 1976年のアントニオ猪木』

2010-04-01 23:55:52 | 思想・文学

アントニオ猪木は本当に強かった。だから、ハルク・ホーガンのアックスボンバーで舌を出して失神負けしたときはショックだった。長州力にリキラリアットで倒され、フォール負けしたときもそうだった。珍しく『ニュースステーション』で結果を報じた藤波辰巳との一騎打ちも、興奮しながら観た。だが、それらはすべて、結果の決まったショー、いわゆるプロレスであった。

柳澤健『完本 1976年のアントニオ猪木』(文春文庫、2009年)は、そのことを淡々と検証するように書いている。解説で海老沢泰久が述べているように、これは歴史書なのかもしれない。

なぜ1976年なのか。答えは、その年にのみ、リアルファイトが行われたからである。世界の英雄でありムスリムの英雄であるモハメッド・アリ、韓国の英雄パク・ソンナン、パキスタンの英雄アクラム・ペールワン。アリ戦が「世紀の凡戦」と酷評されたように、リアルファイトであったからこそ、盛り上がりに欠け、異常な試合となった。これ以降の猪木は、再び「プロレス」に戻ったというのが、著者の主張だ。

いまさらプロレスがショーであることくらい、誰でも知っている。だからと言って、プロレスラーが弱いということにはならない。相手の技を受けてやり、それに対して変奏曲を奏で、互いのプロセスを高めていく。これを猪木は「○○○○と同じだ」と表現した。あるいは、ソロの順を決めたところでジャズはヤラセではない、そのこととも似ている。

それでも、歴史として断言されてしまうと、わかっていたにも関わらず何だか幻想を剥ぎ取られて痛い。デューク・エリントン風にいえば、世の中には2種類の人間がいる。プロレスを認める人間と認めない人間だ。私は前者である。わかっていながらも幻想を楽しんでいるのだ。だから、ハッスルのようなショー性を前面に押し出す試みは、幻想を持つことが許されないものであるから、観たくも何ともないわけである。こればかりは、少年時代、新日本プロレスの中継に毒されてしまったから仕方がない。(何しろ、初代タイガーマスクの実家に電話をかけてしまったことも・・・。)

初めて聞く話はいろいろある。ホーガンとの試合での失神は、プロレスの凄さを演出するための猪木の芝居だった。アリとの試合があのような形になったのは、猪木がカール・ゴッチからタックルを教わらなかったことも原因のひとつであった。勿論、本当かどうかわからないし、おそらくはアリとの試合の分析は数限りない人たちによってなされていて、無数の見解があるのだろう。

それ以上に興味深いのは、プロレスを支えた大衆の幻想と、それを利用した権力の動きだ。日本のプロレスは、右翼や暴力団と密接な関係にあった。韓国のプロレスは、朴正煕に利用され、保護された。パキスタンのプロレスは、ムガル帝国に仕えるレスラーの末裔であり、やはり政治と深い関係にあった。そして猪木は、1976年のリアルファイトにより、韓国のプロレスも、パキスタンのプロレスも、その後の凋落に追い込んでしまった。逆に日本では、不思議なことにプロレスを切り離さない形での総合格闘技興隆の流れをつくった。

ここまで冷静にプロレスの歴史を振り返られても、なぜかプロレスを観たくなってしまうのが不思議である(とは言え、もはやプロレスよりもノゲイラやヒョードルのほうを観たいのだが)。著者も冷静を装いつつ、プロレスという偉大な演出空間を愛しているようだ。その本当の気持ちは、以下の文章に表れている。

「ヒールが常識から逸脱した行為を行うことで、観客の中に興奮が生まれる。
 ベビーフェイス(正義の味方)がヒールを罰することで正義が回復され、観客は満足する。
 どちらの役回りがよりクリエイティブかといえば圧倒的にヒールである。そもそも興奮が生まれなくては鎮めようがない。
 ヒールとベビーフェイスの関係は、推理小説における犯人と探偵の関係に近い。正義の味方である探偵(ベビーフェイス)は、犯人(ヒール)の思考と行動の筋道を後追いすることしかできない。
 事件のすべてを作り出すのが犯人であるように、プロレスのアイディア、物語、言葉のすべてを握っているのはヒールなのである。」

●参照
北井一夫『英雄伝説アントニオ猪木』