Sightsong

自縄自縛日記

テリエ・リピダル+ミロスラフ・ヴィトウス+ジャック・デジョネット

2014-10-15 07:04:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Terje Rypdal / Miroslav Vitous / Jack Dejohnette』(ECM、1978年)。

Terje Rypdal (g, g syn, org)
Miroslav Vitous (b, el-p)
Jack Dejohnette (ds)

普段あまり聴かない人なのだが、長い歪んだ音で時空間を支配していこうとするギター・スタイルのテリエ・リピダルは、ビル・フリゼールやヴォルフガング・ムースピールらの前に現われたパイオニアでもあるのかな。

このような間の多い中でクリアな音を出しつづけるジャック・デジョネットも、悪くない。どうも「寸止め感」があってさほど好みでなかったのだが、悪くない。久しぶりに、かれのグループ「Special Edition」の諸作を探して聴こうかな。


柴田三千雄『フランス史10講』

2014-10-14 07:51:39 | ヨーロッパ

柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書、2006年)を読む。

通史というものには癖があって、時代ごとの史実をしっかり頭に刻んでいくように読まなければ、読後に何も得られないことになってしまう。一方で、語り手による大きな歴史の流れをつかむことができる。

本書については、後者のおもしろさがいろいろあって、そのひとつがナショナリズムの生成と国民統合のプロセス。数えきれないほどの革命や統治システムの変更を経て、フランスは今の姿となった。歴史の流れは一方向ではなかったし、過去の見直しによるナショナリズムの強化もあった(ジャンヌ・ダルクは百年戦争に登場した15世紀の人だが、愛国・共和主義的な娘として右翼ナショナリズムの文脈で注目されたのは、19世紀半ばからであるという)。インドシナからの撤退(1954年)や、アルジェリア戦争(1954-62年)によるナショナリズムの変貌もあった。欧州諸国のナショナリズムとEU統合とは切り離せない関係を持つが、ドゴールは、フランスが優位に立つヨーロッパを考えていた。簡単ではない。

しかし、国家という統治システムへの国民参加の歴史は長い。ヨーロッパへの視線はいまも重要である。 


ミシェル・ンデゲオチェロ『Comet, Come to Me』

2014-10-13 22:10:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

気が向いて、ミシェル・ンデゲオチェロの新作『Comet, Come to Me』(P-Vine Records、2014年)を聴いている。

Meshell Ndegeocello (vo, b)
Chris Bruce (g)
Jebin Bruni (key)
Earl Harvin (ds, perc) etc.

これまで、1996年頃のミシェルの姿しか知らなかった。『Peace Beyond Passion』を発表した頃である。ジョシュア・レッドマンのサックスをフィーチャーしており、その後もジャズに近づいたと評された作品や、ニーナ・シモンへのオマージュ作品が発表され、ずっと気になってはいた。

18年前に比べると、随分とシンプルでしっとりとした印象が強い。確かに、曲の作り込みにもリズムにもさまざまな要素が詰め込まれている。それでも目立つのは、ミシェルのベースと、何よりも滑らかなヴォイスだ。素直にクールだと言うことができる。正直言って、ここまで構えずに聴ける作品とは予想していなかった。来日公演にも駆け付けるべきだった。

●参照
ミシェル・ンデゲオチェロの映像『Holland 1996』


テレサ・テン『淡淡幽情』

2014-10-13 19:44:39 | ポップス

先日、テレサ・テン(麗君)の大名盤『淡淡幽情』(1983年)の24ビット100kHzマスタリング・限定盤の存在を知り(twitterで教えていただいた)、探して入手することができた。旧盤の録音も決して悪くはないのだが、新盤を聴くと、実にキメ細かくいろいろな音が聞こえてくる。

これは香港ポリグラムから発売され、香港の「レコード大賞」的な「Album of the Year」を受賞した作品。すでに日本でビッグネームであったテレサだが、ここでは、おっさんの妄想ソングではなく、中国の古典詩に曲を付けたものである。わたしも初めて聴いたときから魅せられて、ずっと聴き続けている。

テレサの唄はエッジが丸く、突き抜けた優しさと力がある。中村とうようが「聞き手を慰撫する仏の境地だった」(『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書)と表現しているのは、決して大袈裟ではない。

すべての曲が本当に素晴らしいのだが、なかでも好きな曲は「萬葉千聲」。「わざわざ枕に寄り、あなたを夢の中で探したいが、なかなか眠れず、良い夢にならない」という意味の詩を情感たっぷりに唄うテレサの声をどう表現すべきか。旧盤の歌詞対訳を読みながら聴くと、身悶えして、カフェで聴いていても涙腺がゆるんでしまうほどだ。

LP盤もいつの日か入手したほうがよいのかな。

●参照
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)
宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』
フェイ・ウォン『The Best of Faye Wong』、『マイ・フェイヴァリット』
楊逸『時が滲む朝』


ハンク・クロフォードのアレサ・フランクリン集

2014-10-13 09:59:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

ハンク・クロフォードアレサ・フランクリンの曲を取り上げた作品『Mr. Blues Plays Lady Soul』(Atlantic、1969年)。

先日飛行機の中で聴いてえらく気に入って、早速入手した。アレサのアトランティック盤5枚組(『Lady Soul』など)から、同じ曲を探して、比べながら聴く。

Hank Crawford (as)
David Newman (ts)
Eric Gale (g) etc.

サックスは人間の肉声に近いとはよく言われることだが、ハンクロのブローはまさにそれだ。気持よくアルトを吹き切り、文字通りブルージーでソウルフル。この真っ直ぐさがアレサの歌とシンクロする。

エリック・ゲイルのギター、デイヴィッド・ニューマンのテナーサックスもはまりまくり。

●参照
ギル・エヴァンス『Plays the Music of Jimi Hendrix』
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集


『A Tribute to Bill Evans』

2014-10-13 07:39:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

ケニー・ホイーラートニー・オクスレーを目当てに、DVD『A Tribute to Bill Evans』(Columbia、1991年)を観る。

Gordon Beck (p)
Kenny Wheeler (tp, flh)
Tony Oxley (ds)
Stan Sulzmann (sax, fl)
Dieter Ilg (b)

期待しただけに、あまりにもフツーの演奏に肩すかし。ホイーラーのプレイも、ちょっと文脈が違うのか、ああホイーラーが吹いているね、程度の感慨しか持てない。

収穫は、さまざまなサイズのドラムスとシンバルとを流れるように叩くオクスレー。この深い懐があったから、セシル・テイラーやジョン・サーマンを受けとめ対峙することができたのだなと実感できる。

●参照
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』
ジョン・サーマン『Flashpoint: NDR Jazz Workshop - April '69』
セシル・テイラー+ビル・ディクソン+トニー・オクスレー
セシル・テイラーの映像『Burning Poles』


『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展』

2014-10-12 22:49:46 | アート・映画

板橋区立美術館で、『種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展』というユニークな展覧会が開かれている。もうすぐ会期終了ゆえ、慌てて足を運んだ。

奇想を愛し、日本に紹介した種村氏。かれのフィルターを通じた作品群が集められており、すこぶる愉快。昔から気になっていたアルフレッド・クビーンによる、第一次大戦後に不安と死とに憑りつかれた作品を観ることができたことも嬉しかった。

特に魅せられた作品は、トーナス・カボチャラダムスによるものだった(なお、日本人である)。カボチャが存在感を主張しまくる世界に蠢く人びとが、ユーモラスに、ぎっちりと描きこまれている。これは愉しい。まるでカボチャ版ブリューゲルだ。北九州市の「カボチャドキヤ国立美術館」にも行ってみたいものだ。

最近はめったに図録を買わないわたしだが、平凡社の書籍としてまとめられたそれは出来が良く、つい入手してしまった。

ところで、板橋区立美術館の近くには、有名な「東京大仏」がある。説明版によると、大仏が鎮座する乗蓮寺の住職さんが3年かけて1977年に完成させたものだという。意外に新しい。座高8.2m、頭部3m。


2014年10月、ハノイ(2) 朝の市場

2014-10-12 10:27:16 | 東南アジア

ハノイは表通りも面白いが、裏通りも面白い。ちょっと横町に入ると、魚、肉、野菜、花、日用品。ちょうど今年はインドシナ戦争の終結(1954年)から60周年にあたり、あちこちに記念の看板やベトナムの国旗が飾られている。

毛細血管のような小さい路地に入り込んだところ、方向がまったくわからなくなって、外に出るにはどうすればいいかを人に尋ねなければならなかった。

※写真はすべて Leica M3、Pentax 43mmF1.9、Fuji 400H

●参照
2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


2014年10月、ハノイ(1) 朝の湖畔

2014-10-12 10:19:07 | 東南アジア

1年半ぶりのハノイ。

東南アジアの散歩は朝に限る。おそらくそれが常識であって、ティエンクアン湖や統一公園(むかしのレーニン公園)のバイマウ湖の脇では、散歩だけでなく、大勢の人が、ダンス、器具を使ったエクササイズ、何やら独自のエクササイズなんかをしている。朝6時からテニスをしている人までいる。

やはり、ホテルの朝食などではなく、外でフォーを食べるべきだったか。

※写真はすべて Leica M3、Pentax 43mmF1.9、Fuji 400H

●参照
旨いハノイ
2013年1月、ハノイ
2012年8月、ハノイの湖畔
2012年8月、ハノイ
ハノイのMaiギャラリー
2012年6月、ハノイ
ハノイのレーニン像とあの世の紙幣
ハノイの文廟と美術館
2008年10月、ハノイの街


マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』

2014-10-12 08:24:14 | 中国・四国

マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』(河出書房新社、原著1960年)を読む。

1957年8月、広島。30歳過ぎのフランス人の女と、40歳位の日本人の男とが関係を持つ。12年前の原爆投下とその後の惨劇について、女は「わたしはすべてを見た」と言い続け、そのたびに、男は「きみは何も見ていない」と否定する。男にはわずかにでも当事者性があり、女にはそれがない。そのとき、十代後半の女は、大戦中のフランスの小村において、ドイツ人兵士と恋愛に落ちていた。かれとふたりで村を脱出するその日に、ドイツ人兵士は射殺され、女は敵と関係を持ったという咎で丸刈りにされ、地下室に数年間幽閉されたのだった。12年前の日本人の男と、殺されたドイツ人の男とが重なり、当時の物語を現在進行形のドラマとして繰り返す。それはフロイト風の治療にも見える。

本書は、アラン・レネによる同名の映画の脚本を中心としたテキストであり、これ自体として独立した作品である。それと同時に、映画がレネとデュラスとの共同作業であったことがよくわかる。

「わたしはヒロシマを見た」、「きみは何も見ていない」という溝は、デュラス自身による「補遺」にあるように、「フランス人」と「日本人」との間に横たわったものではない。そうではなく、それは、当事者であったか否か、苛烈な体験を身体に刻んだか否かという、「態度の踏み絵」なのであり、溝は決して埋まることがない。女のまったく別の苛烈な体験は、「ヒロシマ」の代償として現われるようにも思われる。

まさに、「ヒロシマ」の向こう側は言葉が意味を失い、そのために「広島」を抽象的に「ヒロシマ」と呼ぶわけである。言葉=人間が抽象となる臨界点という意味で、「ヒロシマ」があり、同様に、「ホロコースト=ショアー」があり、「ナンキン」があり、「フクシマ」がある。安易な象徴化は批判されるべきだとしても、その衝動はわからなくもない。

たしかに、「当事者性」という面からは、異なる惨劇を個人の上に重ね合わせることにも、個人の苦痛を浄化の過程として描くことにも、拒否反応があって然るべきかもしれない。しかし、それらの矛盾と埋まらない溝をこそ、本書において読むべきなのだろう。

●参照
アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』
ジャン=ジャック・アノー『愛人/ラマン』(デュラス原作)


リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』

2014-10-11 09:10:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

リー・コニッツが20代だったころのStoryville盤を2枚、あらためて聴く。それはもう素晴らしすぎて、文字通りのパイオニア、天才だなと呟くしかないのだ。

■ 『Jazz at Storyville』(Storyville、1954年)

Lee Konitz (as)
Ronnie Ball (p)
Percy Heath (b)
Al Levitt (ds)

いま聴くと、後年の温かくふくよかなニュアンスを孕んでいることが感じられるものの、やはりここでのコニッツは、痩身、機敏、知的なアルトサックスを吹いている。音色はともかく、ブルースの癖や熱気の放出に頼らず、まったくその対極にあって、コニッツは、フレーズの数々を細かく組み上げる。『はじめの一歩』でいえば宮田一郎か(?)。

「Hi Beck」や「These Foolish Things」のスリリングさなんて特筆もの。スピーディな「Subconscious Lee」もいい。

■ 『In Harvard Square』(Storyville、1955年)

Lee Konitz (as)
Ronnie Ball (p)
Jeff Morton (ds)
Peter Ind (b)

よりリラックスした雰囲気と演奏。ロニー・ボールのピアノと互いに寄りそっているようで気持がいい。カミソリは見せ消し状態だが、それでも、フレージングを何度も追体験するため、「My Old Flame」をリピートする。

●参照
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』)
ジャズ的写真集(2) 中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』


チャーリー・ヘイデン+ジム・ホール

2014-10-10 07:45:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Charlie Haden - Jim Hall』(Impulse、1990年)。発表以来、聴くのを待ちかねていた。

Charlie Haden (b)
Jim Hall (g)

巨匠ふたりによる、モントリオールのジャズフェスでのライヴである。1990年、何枚も出されている「モントリオール・テープス」の翌年にあたる。

それにしても、肩すかしをされたような気がするほどの自然体だ。主に、「Body and Soul」「Skylark」「Bemsha Swing」といったジャズ・スタンダードや、「First Song」「Turnaround」といったヘイデン馴染みの曲を、何ら奇を衒うことなく演奏している。

ヘイデンの残響音がいつも通り素晴らしいことは言うまでもない。そして、薄紙を何枚もそっと置いて重ねたような、ホールの和音に、耳を奪われる。

●参照
チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ
スペイン市民戦争がいまにつながる
ジェリ・アレン+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Segments』
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』
ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』
ギャビン・ブライヤーズ『哲学への決別』
キース・ジャレットのインパルス盤
70年代のキース・ジャレットの映像
オーネット・コールマンの最初期ライヴ
ミシェル・ペトルチアーニの映像『Power of Three』
マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー


ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』

2014-10-10 00:46:25 | 環境・自然

ハノイへの行き帰りに、ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』(上・下)(楽工社、原著2010年)を読む。

原題は『Merchants of Doubt』であるから、『懐疑論の商売人』とでもいったところ。邦題は、どのような科学者が「世界を騙す」のか曖昧になっており、直訳の方が良いものだったかもしれない。「懐疑論」とは、決して知的で正当な議論から出てくるものではなく、一部の権力にとって好ましくない事実に向けられたものであることが多く、また、歴史修正主義とも共通する面があることからも、そのような観点で視なければならない言説が多くなってきているからだ。

本書には、何人かのキーとなる(元)科学者たちが登場する。何人かは、原爆の開発に従事していた。かれらは冷戦の申し子であった。すなわち、アメリカ陣営・資本主義陣営を是とし、そのための軍事開発に賛成・参加し、ホワイトハウス、右派的な色がついたシンクタンク、利益を守りたい産業界の資金によって活動を行い続けた。かれらにとってみれば、環境保護とは「赤い根を持つ緑色」に他ならないのだった。

かれらのターゲットとしては、タバコの健康影響、酸性雨、オゾン層破壊、地球温暖化、化学物質の環境影響などが選ばれてきた。それぞれ、科学的な手続きによる成果の積み重ねによって、仮説から、対策を講じなければならぬ問題へと移り変わってきたテーマばかりである。ところが、懐疑論者たちは、その手続きと成果とを意図的にねじ曲げ、プロパガンダを繰り広げた。これが如何にデタラメかつ悪質なものであったかを、本書は、執拗なほどに検証している。

メディアが、科学的知見そのものにではなく、安っぽい人間ドラマや、争いといったものに飛びつくことは、日本でも欧米でも変わらない現象のようだ。懐疑論者は数としては圧倒的に少なく、また、言説も劣っているにも関わらず、「論争」が仕立て上げられることによって(たとえ非論理的な悪罵のたぐいであっても)、メディアは両者の主張を「バランス」を取って報道し、市民はそれを信じてしまう。まさに懐疑論者の自作自演のようなものだ。

残念ながら、この手法は科学だけではない分野でよく採用されている。たとえば、沖縄の「集団自決」を歴史修正主義者たちが攻撃したとき、この史実は、歴史教科書から、それが「両論ある」という理屈によって消し去ろうとされたことがあった。なお、「大江・岩波裁判」については、最高裁における歴史修正主義者の敗訴という形で決着が着いている。しかし、歴史修正主義者たちにとってみれば、騒動を起こすだけで「半分目的を果たした」のだった。

著者は、環境問題への懐疑論者はすなわちリバタリアンであり、資本主義の失敗を決して認めない者たちだとみなしているようだ。しかし、これには少々無理がありそうに思える。環境経済の手法は、負の外部性を経済に取り込もうとするものでもあるが、そのためか、そういったものに対する著者の評価はやや曖昧になっているように読める。たとえば、酸性化の原因となった硫黄酸化物・窒素酸化物を対象とした「キャップ・アンド・トレード」が、政策として成功であったのかどうかについては、本書では、揺れ動いて定まっていない。

アメリカにおける地球温暖化に対する懐疑論は、本書で示される文脈に沿って読まれるべきものだが(ノーム・チョムスキーもそのことを繰り返し指摘している)、日本においては、それが奇妙にねじれている。日本の温暖化政策が原子力推進とセットで進められてきたために、陰謀論好きな一部のリベラルたちによって、懐疑論が投げかけられてしまった。すなわち、日米の懐疑論者が右と左とに分かれてしまうという奇妙な現象である。もっとも、両者ともに非論理・非科学の沼にはまっていることは共通しているようだ。

膨大な取材と検証に基づく力作である。推薦。

●参照
ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』
ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
ジェームズ・ラブロック『A Rough Ride to the Future』
多田隆治『気候変動を理学する』
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
小嶋稔+是永淳+チン-ズウ・イン『地球進化概論』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
ダニエル・ヤーギン『探求』


旨いハノイ

2014-10-09 05:27:55 | 東南アジア

1年半ぶり、5回目のハノイ。相変わらず食事が旨く、つい食べ過ぎて反省することを繰り返している。

■ Pho 24

ハノイには何店舗もあるフォーの店。また、ベトナムだけでなく他国にも展開している。ジャカルタでも見かけた。東京では、大森などに3店舗を構えていたのだが(味は同じで、当然値段が東京価格)、残念ながら、昨年撤退してしまった。

久しぶりに食べたらやはり旨い。これに比べると、ホテルの朝食や(Pho 24でない)東京のフォーの店の味が物足りなく感じてくる。


フォー・ボー


レアなカップ麺を発見。買わなかったが。

■ Wild Lotus

ティエンクアン湖の近くにあるベトナム料理店。店のつくりも料理も洒落ていて、外国人の客が多い。

海老グリルのオレンジソースが妙に気に入ってしまう。


牛肉のゴマ和え


海老グリルのオレンジソース

■ ASHIMA

数年前に登場した、きのこ鍋の店。ハノイとホーチミンに数店舗あって大評判らしい。今回ぜひ再訪したかった。

5種類くらいのきのことスッポン。特に翌朝の美肌効果はなかった。


調理前のスッポン

■ Duy Diem

ハノイ中心部から西に外れたあたりに、ブンチャ(細麺をつけ汁に浸して食べる料理)の店が並んでいるエリアがある。店頭で肉を焼いているところも多く煙もうもう。旧市街にも同様にブンチャが評判の店があるが、そちらは観光客で行列さえできているのに対し、こちらは地元住民ばかり。

この店をDuy Diemというご夫婦がはじめたところ、大当たりして、同じような店が周囲にもできたのだとか。

来るのは2回目。つけ汁のなかの肉が香ばしくて実に旨い。

■ CAY CAU

中心部にあるベトナム料理の店。中ではベトナムの弦楽器と笛による生演奏もあって居心地がいい。

柑橘のサラダが旨い。


柑橘のサラダ


海老のビール蒸し

※写真はすべて、Nikon v1 + 10mmF2.8


ジーン・バック『A Great Day in Harlem』

2014-10-05 00:22:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジーン・バック『A Great Day in Harlem』(1994年)を再見。以前VHSで持っていたものだが、やはり例にもれず、ノイズがどんどん入ってきて、クローズド・キャプションも読みとれなくなった。そんなわけで、DVDでの買い直しである。

ジャケットにある写真は、ハーレム地区の一角で、1958年8月に撮られた。「ジャズ史上もっとも有名な写真」という言葉は、ウソではない。ここには、キラ星のごときジャズ界のスーパースターが集まっている。コールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、セロニアス・モンク、ジョニー・グリフィン、ホレス・シルヴァー、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、ロイ・エルドリッジ、ジジ・グライス、アート・ファーマー、ミルト・ヒントン、カウント・ベイシー、メアリ・ルー・ウィリアムス、マリアン・マクパートランド、アート・ブレイキー、ジェリー・マリガン、など、など。文字通り、再現不能の瞬間であった。

このドキュメンタリーは、あまりにも有名な写真をめぐる思い出話が集められている。ブレイキー、シルヴァー、グリフィン、ヒントン、ファーマー、マリガンら、被写体であったミュージシャンたちが、写真を見つめ、当時の様子を語る。かれらの多くが今では鬼籍に入っていることを考えれば、写真だけでなく、この映画も奇跡だということができる。

もちろん(?)、ジャズ・ミュージシャンの語りであるから、すべてが真実とは限らないことも面白い点だ。ブレイキーなどは、「ここは俺の家だった」などとホラを吹いたり、写真の顔を見て言い当てようとする名前がやたらと間違っていたりする(本編ではなく、メイキングフィルムの方に収録されている)。どこまで本気でどこまで冗談なのか。

写真を撮影したアート・ケインにしてみれば、とても大変だった記憶が残っているようだ。やはり(?)、相手はジャズ・ミュージシャンであるから、大人しく整列して待っているわけがない。したがって、撮影できたことも奇跡である。実際に、写真右端のガレスピーはベロを出し、エルドリッジが振り向いて笑っているし、メアリ・ルーもマクパートランドの方を向いておしゃべりに夢中の様子。

映画の見どころは、思い出話やホラ話だけではない。ミルト・ヒントンが持ってきた8ミリカメラ(ターレットにレンズ3本が付いているところからみると、レギュラー8だろう)で、かれと妻モナが撮影していて、そのフッテージが紹介されているのである。カラーで観ると、モンクは写真より数倍スタイリッシュでカッコいい。なお、ヒントンは写真が趣味でもあり、ジャズの写真集を残している。こんど棚から発掘しよう。

それにしても、ハーレム地区のどのあたりだったのだろう。メイキングフィルムには、ケインが再訪したところ、ドアが塞がれ、落書きが書かれた廃墟と化していた様子が収録されている。まだ残っているなら、訪ねていきたいところだ。

●参照
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム