最近PCゲーム関連のことばかり書いているので、他の系統の作品もたまには…ということで。
ディックの作品としては、今まで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「ユービック」そして「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」しか読んでいないが、とりあえずそれらに共通するのはディストピア(理想的でない未来)の描写、そしてすっきりしないエンディング(これは褒め言葉)であるように思われる。そして「パーマー・エルドリッチ~」は三つの中で最もその傾向が強いようだ。
正直この作品の諸々の特徴(快楽への耽溺と労働etc...)について語るにはもっと準備が必要であるように思うので強く感じたことだけ述べておくと、この作品に登場するキャンD・チューZの話を単なる薬物の問題として片付けるべきではない、ということである(以下に理由を述べるが、ディックの作品に消費社会への批判性が強く見られることを念頭に置いてほしい)。例えば、キャンDの使用者達が昇天の間に「白鯨」といった作品の滑稽版、原作どおり版、お涙頂戴版のどれを鑑賞しようかと相談するシーン(ハヤカワSF文庫版206,7P)は、今日の物語消費の様子を思わせる。もう少し詳しく言うと、キャンDを通した物語消費は、感覚至上主義的あるいは感情を喚起するためのサプリメントであるかのように物語を濫費するという、現代に見られる物語の受容傾向と気味が悪いほどに類似しているのである(「感覚と理論~二元論的作品理解の危険性~」などを参照)。
このように、現代の状況と近い作品を1964年という段階で書いていたことに驚かされるが、これは「ユービック」と終わりのないメタゲームにも同じく言えるが、要するに今日の状況を考える上でディックの作品は非常に示唆に富んでいるのである。さて、次は「高い城の男」でも読もうか、それともグレッグ・イーガンの「順列都市」の方にしようか…
ディックの作品としては、今まで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「ユービック」そして「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」しか読んでいないが、とりあえずそれらに共通するのはディストピア(理想的でない未来)の描写、そしてすっきりしないエンディング(これは褒め言葉)であるように思われる。そして「パーマー・エルドリッチ~」は三つの中で最もその傾向が強いようだ。
正直この作品の諸々の特徴(快楽への耽溺と労働etc...)について語るにはもっと準備が必要であるように思うので強く感じたことだけ述べておくと、この作品に登場するキャンD・チューZの話を単なる薬物の問題として片付けるべきではない、ということである(以下に理由を述べるが、ディックの作品に消費社会への批判性が強く見られることを念頭に置いてほしい)。例えば、キャンDの使用者達が昇天の間に「白鯨」といった作品の滑稽版、原作どおり版、お涙頂戴版のどれを鑑賞しようかと相談するシーン(ハヤカワSF文庫版206,7P)は、今日の物語消費の様子を思わせる。もう少し詳しく言うと、キャンDを通した物語消費は、感覚至上主義的あるいは感情を喚起するためのサプリメントであるかのように物語を濫費するという、現代に見られる物語の受容傾向と気味が悪いほどに類似しているのである(「感覚と理論~二元論的作品理解の危険性~」などを参照)。
このように、現代の状況と近い作品を1964年という段階で書いていたことに驚かされるが、これは「ユービック」と終わりのないメタゲームにも同じく言えるが、要するに今日の状況を考える上でディックの作品は非常に示唆に富んでいるのである。さて、次は「高い城の男」でも読もうか、それともグレッグ・イーガンの「順列都市」の方にしようか…
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