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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ノルウェイの森』 100点

2010-12-12 22:14:41 | goo映画レビュー

ノルウェイの森

2010年/日本

ネタバレ

‘共感’と‘誠実’の葛藤

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 物語の設定である1969年といえば日本のみならず、世界中で学生運動が吹き荒れていた。まるで自分たちの世代の人数の圧倒的優位さを利用するならば他の世代の言動など簡単に弾圧できるだろうという安易な考えは、ついには「われわれは明日のジョーである」という声明文を出してハイジャックをして隣国まで行ってしまった‘徒花’まで生み出したのであるが、そのような能天気な学生たちを無視したまま、ワタナベはたまたま同じ学生寮に住む先輩の永沢と、なんとなく成り行きでナンパに明け暮れている。
 ワタナベの高校時代の同級生であり、親友だったキズキが自殺した理由は明かされない。ワタナベにさえその理由は分らない。
 たまたまワタナベはキズキの恋人だった直子と遭遇し、付き合うようになる。ワタナベとは一度だけ寝ることになるが、その後は上手くいかない。しかし直子はあれほど好きだったキズキとは一度も寝たことがなかった。どうしてそのように身体と心が一致しないのか直子は悩み過ぎて療養を余儀なくされる。
 そんな時ワタナベは同じ授業を取っていた小林緑に声をかけられる。お互いに恋人がいたのであるがワタナベは緑とも成り行きで付き合うことになる。
 ワタナベの献身さは叶わないまま結局、直子は自殺してしまう。その後直子と同じ療養所にいたレイコがワタナベを訪ねてきて、彼女の求めに応じてベッドを共にする。
 レイコを見送った後にワタナベは緑に電話をする。緑に、何処にいるのかと居場所を尋ねられたワタナベは自分の‘居場所’が分らない。偶然に起こる運命のイタズラに対しては誰も抵抗のしようがなく、それに完全に巻き込まれてしまい、全く人生の計算が立たないワタナベはただ途方に暮れるのみである。
 ワタナベは学生運動をする学生たちのように他者と‘共感’出来ることを信じていない。親友だったキズキが死んだ理由さえ分からなかったのだから、親友でもない人たちの気持ちなど分かるはずがない。ワタナベが出来ることはただ目の前に存在する人たちの要求にできるだけ応えることだけであるために、傍から見れば信念に欠けた優柔不断な男にしか見えないが、‘信念’を持って学生運動に身を投じた学生たちのその後の惨状を見るならば、‘共感’できないことは分かっていても、運命によって与えられたその場をなんとかして遣り繰りしようとするワタナベの方こそ誠実ではないのだろうか? そのような物語の性格上、まるで昔の‘ATG’作品のように本作自体も観客の共感を拒絶するのであるが、それこそ傑作であるという何よりの証拠であろう。
 CANというドイツのロックバンドの楽曲の使い方のセンスも素晴らしく、ワタナベとCANのヴォーカルで、楽譜もリハーサルも無くその場に合わせた即興的歌唱法を得意とするダモ鈴木のイメージをリンクさせる意図があるとするのならば驚くべき演出だと思う。

 「週間新潮」(12月30日・1月6日新年特大号 P.142-P.143)において評論家の福田和也氏が「世間の値打ち」というコラムで本作を取り上げているので一部引用してみる。
 「『(・・・)長回しも多くて、なかなか刺激的ではある。施設に入った直子を、ワタナベが訪れた時、早足で丘を往復しながら、二人が ー 直子が引っ張る形で ー 対話するシーンがあるんだけれど、これは凄い。高低のある丘をかなりの速さで行き来しながら、どんどん直子のテンションが上がってくる。でも、カメラの水平は動かない。レールを敷いているのかな?と思って見ていると、その水平を保ったまま、カメラアイは画面奥へと入ってゆく。あれどうやって撮ったのかね。理屈で考えるとレールじゃなくて、クレーンか何かなんだろうけれど、演出と一体になってはじめて出来る撮影ではある』『うーむ。でも、激しい勢いで歩きながら、対話する直子とワタナベというのは、ちょっとイメージにそぐわない、かと』『緑もまた、ワタナベを自宅に招いた時に、二階をぐるぐる歩き回りながら会話するわけ。これも、面白い演出ではあるね。面食らうけれど、刺激的なのはたしか。でも、どうなんだろう。こういう演出は、観客の注意を引きはするけれども、説得力があるんだろうか。直子との場面は緊迫感があるけど、緑のところは、ちょっと。女優の滑舌も、監督の指示なのかもしれないけど、なんかワザとらしい』(・・・)」
 このように評価した上で福田氏は「監督自身による肝心の脚本がその体をなしておらず39点」としている。
 福田氏は直子や緑が歩き回るシーンを監督がただ奇を衒ったもののように見倣しているが、既に書いたように歩き回る彼女たちの後を必死になって追いかけるワタナベの描写には、ワタナベが翻弄されているという明確な演出意図があるわけで、この作品の根本に関わる演出意図が見抜けない人にはこの作品を評する能力も資格もないと断定せざるを得ない。因みに直子とワタナベが丘を往復するシーンには多くのレールが使われたということを菊池凛子が「笑っていいとも!」で証言していた。


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フジテレビの不作の年

2010-12-12 17:28:23 | Weblog

ナカミーら「アナ★バン!大感謝祭」PR(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 私は個人的にはフジテレビの「アナ★バン」は現在放送中のバラエティ番組の中

ではかなりクオリティーの高い方だと思っている。少なくとも日本テレビでは絶対に

成り立たない番組であるだろう。しかしここに来て不安な要素が現れた。過去MCを

務めた慶子お姉さん(椿原慶子)や章子お姉さん(山中章子)は結構頑張っていたと

思うが、新MCの沙羅お姉さん(細貝沙羅)が今ひとつ元気がないような気がする。

細貝と同期入社で「ヤマサキパン」の司会を務める山崎夕貴も今ひとつだと思う。

「ヤマサキパンパンストレッチ」はかなりウケたけれど番組内のアンケートの回答が

痛々しい。勿論“化ける”可能性は否定できないが、今年は“不作”だったのだろう。


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