七瀬ふたたび
2010年/日本
テレビドラマとの比較考察
総合 20点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
原作者の筒井康隆の「芦名星はもっとも七瀬らしい七瀬である」というコメントは納得できる。『七瀬ふたたび』は過去4回もテレビドラマ化されて、満を持して臨んだ映画化であったはずなのであるが、筒井康隆は他に褒めようがなかったはずだからである。
『七瀬ふたたび プロローグ』で多岐川裕美を起用しているようにこの作品は1979年に制作された多岐川裕美主演の「NHK少年ドラマシリーズ」を踏襲しているように見える(ちなみに全13話のサブタイトルは順に「出会い」「旅立ち」「大都会の夜」「ダイヤモンド」「航海」「時をのぼる」「廃墟」「家族」「危機」「ある青春」「落日」「暗殺者たち」「森を走る」)。このテレビドラマと映画を比較して一番違和感がある部分は、テレビの火田七瀬は超能力を悪用することに抵抗があり、ホステスや大金持ちの岡野鉄造の家政婦として働いて北海道に家を購入したのであり、迂闊にもマカオのカジノで超能力を使ったために、火田七瀬が超能力者であることを察知したカジノの元締に命を狙われる羽目に陥るのであるが、映画の火田七瀬にはそのような罪悪感を最初から持っていない(拠って映画は原作の「ヘニーデ姫」という章から始まっている)。
映画のオリジナルキャラクターで刑事の山木義男はテレビドラマでは超能力人間を追いかけているルポライターの山村栄一に当たる。山村栄一を登場させた理由はラストで全ての超能力者が消えるために、それまでの出来事が夢だったのか現実だったのかを曖昧にする役割を担わせていたのであるが、映画における刑事の山木義男の存在が中途半端で上手く活かされていない。
岩淵了が火田七瀬と距離を置く理由は愛というものが決してキレイなものではなく得てして妄想の中で‘凌辱’を伴ってしまうからであるが、性描写が大人しいために観客に伝わりにくい。
ヘンリー役はテレビドラマではアレクサンダー・イーズリーが演じていた。「Sometimes I Feel Like A Motherless Child」などなかなかの美声を聞かせるのであるが、映画のヘンリー役であるダンテ・カーヴァーは何を言っているのか聞き取れないところが多々あった。
賛否が分かれる火田七瀬がヘンリーに飛ばされる問題のシーンは、もしも‘確信犯’としての演出であるならばテレビドラマにおいて北海道の食品店で火田七瀬がヘンリーに命じて缶詰を飛ばすシーンと酷似していることから‘オマージュ’と見倣すことはできる。殺された山沢ノリオが火田七瀬の目の前に‘人形’のように投げ出されるシーンは、北海道に向かう火田七瀬が乗船しているフェリーの甲板で、恋人に‘人形’のように海中に落とされる女性の演出と酷似していることからも同様のことは言える。
これは原作にも問題があると思うが、超能力者を‘差別’の観点から国家規模の組織から命を狙われるという物語を描くことに時代の流れから鑑みるならば無理がある。今ならば例えば『SP 野望篇』(波多野貴文監督 2010年)の主人公である井上のように超能力者を国家に取り込むことの方が自然だと思う。
しかし結局は、『死刑台のエレベーター』(緒方明監督 2010年)の酷さは既に記しておいたが、この『七瀬ふたたび』も共に小掠事務所の小掠悟がプロデューサーとして関わっているということが一番の問題であるような気がする。
断末魔の龍馬の顔にテロップ…苦情200件(スポーツニッポン) - goo ニュース
私は最近のテレビドラマなどは真剣に見るようなものに制作されていないと思うし、
見てもいないから、断末魔の龍馬の顔に愛媛県知事選の当確を伝える速報テロップ
がかぶってしまったというドラマとしては悲惨な有様はギャグとして見るならば逆に
面白かったのではないかと思う。一地方の知事の当確をどうして日本全国民が
速報として知らなければならないのか全くNHKの考えることは不思議でならないが、
そもそもNHKの看板番組であるはずの大河ドラマにテロップを流してしまうという
愚行がテレビドラマの軽視であり、ドラマというものを大切にしていない何よりの
証拠である。