原題:『Annette』
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス/ロン・メイル/ラッセル・メイル
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
出演:アダム・ドライバー/マリオン・コティヤール/サイモン・ヘルバーク/デヴィン・マクダウェル
2021年/フランス・ドイツ・ベルギー・アメリカ・日本・メキシコ・スイス
「男性目線」について
主人公はスタンダップ・コメディアンのヘンリー・マックヘンリーとオペラ歌手のアン・デフラズノーで、二人が結婚し授かった子供がアネットである。アンが林檎を愛する「神の子供(The Child of God)」であるのに対し、ヘンリーはバナナを愛する「神の類人猿(The Ape of God)」と見なされ、それはそれぞれの芸風を越えてやがて人格をも象徴することになる。
この物語を見ている私たち観客は、何故アネットが人形(マリオネット)として登場するのか素直に疑問に思うだろう。何故ならば最後にアネットは生身の人間としてヘンリーの前に登場するからで、それならば最初から人間として登場していれば違和感もなくより感動をもたらすのではないかと想像してしまうのである。
しかしそれは観客からの視点であり、アネットを金儲けの道具にしか見ていないヘンリーの視点からはアネットのみならず、妻のアンやヘンリーを告発した6人の女性たちも彼女たちを「人形」のようにしか見ていなかったのではないかと思う。
おそらくアンの復讐としてアネットは生身の人間に変化し、アネットに「あなたには愛するものは無い」と言わせる。女性という「他人」に「身内」の娘という要素が加わることで、例えば、散々女性を傷つけながら生きてきた男性が結婚して娘を持った時、その男性は自分の娘が自分が女性にしたことと同じ目に遭わされることを覚悟しなければならなくなるのである。カラックスの切実な思いが感じられる。
作品の冒頭に流れた「ソー・メイ・ウイ・スタート」を和訳しておきたい。
「So May We Start」 Sparks 日本語訳
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
始めるには打って付けだ
(1,2,3,4)
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
開始する時が来た
始めるには打って付けだ
行くべき方向に行くことをみんな期待している
誰もが不安を抱えているけれど
顔に出すことはできない
みんな準備不足かもしれないけれど
それで十分かもしれない
予算は小さくはないが
それでも十分とは言えない
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
開始する時が来た
始めるには打って付けだ
僕たちは世界を作り上げるんだ
ただ君たちのための世界を
歌で綴られる物語はタブー無しの狂想曲だ
僕たちは君たちのためにマイナー・キーで歌って死ぬんだ
もしも君たちも僕たちを殺人者に仕立てたいならば
僕たちは反対しないかもしれない
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
開始する時が来た
始めるには打って付けだ
だからドアを全部閉めてショーを始めよう
君たちは知っておくべきだが非常口はすぐに分かる
作者たちはここにいるから侮蔑の眼差しは避けよう
作者たちはここにいるからちょっとうぬぼれている
ちょっとね
今音楽が鳴り響き全ての灯りがついたから
紳士淑女のみなさん
静かにお座りください
僕たちの瞼のカーテンがゆっくりと上るのに
ステージはどこにあるのかと君たちは訝しんでいるの?
外にあるのか中にあるのか?
外か中か?
外か中か?
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
開始する時が来た
始めるには打って付けだ
そろそろ始めようか?
そろそろ始めようか?
開始する時が来た
始めるには打って付けだ
今始めようか?
今始めようか?
Sparks, Adam Driver, Marion Cotillard - So May We Start | From "Annette" ft. Simon Helberg
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