寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

ふたたびヒロシマの平和を疑う! 8.6田母神講演会(その4)

2010年08月07日 | 暗黒の無政府時代

講演会場から割れんばかりの拍手が沸き、第29代航空幕僚長はニコッとした。「酒と女は2合まで」という名(迷)言を残した彼はおよそ1時間15分にわたり持論を展開した。

まず「秋葉市長の謳う平和を疑ってみなければならぬ」と切り出し、核が実際に使われる可能性は極めて低いとした上で核が究極の戦争抑止(防御用)兵器であることが日本ではなかなか理解されないことを嘆いた。そして核武装不要という意見があるのならば、その逆の核武装すべきとの考えもあってよいはずだと述べ、全く議論されない(戦後の日本に言論の自由がない)問題を提起した。それから批判の矛先は与党民主党に向けられたのである。

 「民主党が政権をとってまた国民から自由を奪おうとしている。自民党もゆるやかに日本のぶち壊しをやってきたが、その総仕上げを民主党が迅速に行おうとしている(場内大爆笑)。売国3法案は何としても阻止しなければならない。今日本には中国人が50万人以上いるが、本国で選挙権すらない彼らが日本で選挙権を求めるとは何事か!」

田母神さんの扱き下ろしに腹を抱えて笑う人たちを私は確かに見た。夫婦別姓法案に関しては日本人の道徳観は家族制度にあったと思うと語り、こんな法案成立を望んでいるのは多分男性に愛されたことのない女性ではないかと皮肉った。

更に(旧)人権擁護法案が成立すれば善良な日本国民への人権侵害が進むと結論付けた。無法者をのさばらせるような悪法(すこぶる性根の悪い連中による善人狩り)は数多くの共産主義国家がはまった泥沼に我が国を導くと私は非常に危惧している。

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ふたたびヒロシマの平和を疑う! 8.6田母神講演会(その3)

2010年08月07日 | 暗黒の無政府時代

高田純さん(札幌医科大学教授)による緊急提言は実に刺激的でわざわざ広島市まで足を運んだ甲斐があったと思う。彼も平和宣言で気になった箇所を指摘した。

市長は今の日本の平和は奇跡だと言うが、多くの拉致被害者が未だに帰国できずにいるのに何が平和だと怒りをあらわにした。そして中国が広島型原爆の1万7千発分の核兵器を保有してその多くを我が国に向けている状況で核の傘から離脱することを政府に求める見識には納得しないと語った。

共産党の一党支配による中国は新疆ウイグル自治区の楼蘭遺跡の近くで46回もの核実験を行い、植民地化状態の下でウイグル人は最も酷い被害を受けて莫大な人が亡くなっている(中国はその事実をウイグル人に伝えず被爆者をやみくもに増やした)ことを明らかにした(※)。

高田さんは2000年8月とばっちり被害に苦しむ隣国カザフスタンの依頼を受けて調査に出向いた。その後秘密裏に行った実験データを8年がかりでまとめて以前同行した中●新聞の記者にも内容を知らせたが、報道されることはなかった。そして原水禁、原水協の事務局にも内容は届いているはずなのに何故か論評しなかったという。

彼は公共放送が犯した罪を容赦しなかった。1980年シルクロードの撮影に行った際にそこが核実験場と知りながらも夢の遺跡番組として垂れ流し、多くの日本人観光客が被爆してしまったことは許されるものではないとでも言いたげだった。

最後に高田さんは平和公園に設置された主語のない問題の碑文は広島の被爆者を侮辱するものだとして今後撤去させる運動を展開してゆくと語り聴衆から大きな拍手を受けていた。

時計の針が19時を指さそうとした時、本家の田母神さんが登場しユーモアたっぷりに話し始めた。

 「みなさん、こんばんは。危険人物の田母神です」



※原爆の日の翌日広島市内で「被爆65周年にウイグルの核被爆を考える」という集会が開かれる

【日時】2010年8月7日 午後16時半開場 16時45分開始
【会場】広島市中区袋町6番36号 広島市まちづくり市民交流プラザ 北棟5階研修C
【会費】1000円
【内容】ウイグルの被爆の状態をまとめたドキュメンタリー「Death on the silkroad」を上映、イリハム・マハムティ講演
【主催】日本ウイグル協会

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ふたたびヒロシマの平和を疑う! 8.6田母神講演会(その2)

2010年08月07日 | 暗黒の無政府時代

18時を少し回ったところで講師が入場した。一同起立し君が代を斉唱した後、原爆犠牲者に黙祷を捧げ着席した。主催者である松浦雄一郎さんの簡単な挨拶に続いて秀道広さん(安全と平和を求める被爆者たちの会代表)が壇上に立った。

彼は平和式典を見て3つの怒りを覚えたと語った。第一に原爆投下による大量無差別殺人と被爆者が死ぬまで続く遺伝子被害に。第二に中国の核保有は暗に認めるという反米的な言論封殺に。そして第三に現実的な方策を語らない、リップサービスだけの市長発言の無責任さに。

私はたまたま平和公園に捨てられていた平和祈念式のプログラムを拾い平和宣言の文言に予め目を通していた。だから秀さんの批判は尤もだと思ったのである。

女性が朗読した「(式典では読まれない)もうひとつの平和宣言」の末節は私の心に強く響いた。以下に引用しておく。

 私たちはまだ、あなた方に「安らかに眠ってください」と言える資格がありません。今の私たちには、世界と溶け合った古の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い精神を必ずしも受け継いではいないからです。しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、「兵隊さん、仇を取って下さい」と言われた人のいたことを忘れません。あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あなた方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平和を繋ぐことが出来たとき、私たちの仇討ちは終わります。その暁には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。「安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから」

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