寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その5)

2010年08月23日 | 

駐車場の前から「I旅館」を望む。遊里研究家でなくても一度目にしたら決して忘れらないような構造である。かなり手が加えられているが、かつて栄えた色街の代表的な建築物と言えよう。

中区薬研堀及び弥生町は今なお広島の夜の街として君臨しているが、西平塚町に関して言えば(一部の例外を除いて)その役割を終えて普通の住宅街に変貌を遂げている。

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広島市東遊廓の流れを汲む赤線跡(その4)

2010年08月23日 | 

鮮魚店隣の建物は独特のバルコニーを有していた。私は「鳩の街」に来ているかのような錯覚に陥った。昭和30年代の住宅地図ではここが「末広旅館」になっている。地図からはこの界隈が旅館の密集地だったことがわかるが、その多くは赤線廃止後に旅館経営に切り替えたと考えるのが自然であろう。ちなみに鮮魚店の入ったビルは当時「繁畑旅館」だった。

派手な色彩の「大衆焼肉酒場」の方へは行かずに本能の赴くまま手前の小路に入り北東に進んだ。すると出入り口が3つもある奇妙な造りの家があった。私は駐車場の方に歩いてゆき自分の勘が正しかったことを悟った。

広島市中区西平塚町にある出入り口の多い家

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