噴き出る汗をハンカチで拭いながら猿猴橋(※1)を渡り的場町(※2)に入る。
「あそこに東横インが出来ている」
私は普段通らない道を歩いて偶然にも市立段原小学校に着いた。それから南消防署の前を通過して電車通りを横断した。

※1 長い間、広島の玄関口になっていた猿猴橋は、広島の数ある橋のうちでも確かに異彩を放っていた。毛利時代の広島城下絵図にも「エンコウバシ」と書いてあるので、昔からあったものだが、名の由来についてはわからない。
長さ三十五間(約六十三メートル)巾四間(約七メートル)で、木橋だったのが、大正十五年に改装され、同年三月十六日に渡り初めが行われている。橋の名前であり、川の名前でもある猿猴とは、手の長い河童をもじったものであるらしい。
※2 源蔵という者が、ここに住んで的を作っていたので的場町と呼ばれるようになったと伝えられている。
「がんす横丁 / 薄田太郎(たくみ出版 昭和四十八年)」より引用

