妓楼に付き物とも言える円窓、目を凝らして見ると装飾素材が木ではなく鉄だった。これは戦後に建てられた家屋の特徴かもしれない。2階手すりの透かし彫りは一風変わっており職人のセンスの良さが伺える。私は道路を南西の方向に進んだ。

『続々がんす横丁 / 薄田太郎(たくみ出版 昭和四十八年)』にも東遊廓に関する重要な記述があるので補足説明として掲載しておく。
昭和十一年ごろの新聞記事によると、(中略)東遊廓の貸座敷は四十六軒で、働く女性は三百九十人であった。そしてこれらの女性の稼ぎ高は、一カ月の花代が(中略)東では三万円内外という記録が残されている。
参考までに昭和10年の物価ではコロッケ2銭、カレー10銭、新聞(1ヶ月)90銭である。

