明治35(1902)年11月1日(広島市)生まれの薄田太郎さんは明治42(1909)~43(1910)年頃の比治山について著書で回想している。参考までに一部を抜粋しておこう。
…比治山のドンについて書こう。
ドンは正午の時刻を砲声のドンという音響で知らせたもので、同時にこれが昼めしのきっかけとなっていた。著者が七つ、八つのころ、平塚の土手下の家から、近所の人につれられて西の旧市場へ法事用の菓子なんかを仕入れに行ったとき、天満橋近くまでくると「ドン」の音がしてワケもなく情けなくなって、大声で泣いたことを覚えている。
(中略)
この広島のドンには、落語ならぬ一つの落ちがある。比治山の別名を「肱山」ともいうが、この山に大砲がすえられてからあの松林からスズメが姿を消した。スズメはヒジ鉄砲をくったかも知れないが、広島人は毎日ヒジ大砲-ヒジドンを楽しんだ。比治山の頂上あたりにパッと白煙が立ち上ると、間もなくドンというにぶい音が聞かれたもので、ある東部の中学校の小使さんは、あの白煙を見るとすぐに昼食の鐘を叩いて正確な時を知らせると同時に、少しでも早く生徒たちに弁当を食べさせてやりたいという親心を発揮した。キトクな小使さんから聞いたヒジドンのそう話である。
「がんす横丁 / 薄田太郎(たくみ出版 昭和四十八年)」

明治時代の様子を思い浮かべながら神社を後にした。そして更に比治山通りを南下し面白い物を発見した。比治山の名水と書かれた古びたタンクが山の麓に設置されている。近くの立て看板に醸造元「原本店」の名が記されていた。今なお中区白島九軒町で酒造りが行われていることを知り非常に驚いたのである。

