私が小学校に通っていた頃、とおりちょう(本通)で最も有名な文房具屋がはぶ文泉堂だった。現在地は笠岡町4-22だが、福山空襲によって焼け落ちる前は船町エリアに含まれていた。木綿橋北詰(店の南側の道路が入江の跡。入江の北側は北浜と呼ばれた)であるのは同じだが、位置は若干違う。
昔の店舗は商店街の西側にあった。つまり現・はとやビル(笠岡町1‐21)辺りと思われる。敗戦後もここで営業を再開したが、昭和40年の地図には通りの東にも店舗が載っている。私が物心ついた頃には西側の店は既に無かった。
戦前のはぶ文泉堂の位置から少し北に和田兵林堂があった。私が所有する昭和5年の福山市街地図は兵林堂が販売元になっている。いつ移転したかは不明だが、平林堂書店(教科書などをここで購入した記憶がある)の跡地が輝美堂(笠岡町4‐24)だ。
※㈱八杉商店のホームページにアクセスすれば戦前の市街地図(文化の中心であった船町周辺)の一部を見ることができる。
昔の店舗は商店街の西側にあった。つまり現・はとやビル(笠岡町1‐21)辺りと思われる。敗戦後もここで営業を再開したが、昭和40年の地図には通りの東にも店舗が載っている。私が物心ついた頃には西側の店は既に無かった。
戦前のはぶ文泉堂の位置から少し北に和田兵林堂があった。私が所有する昭和5年の福山市街地図は兵林堂が販売元になっている。いつ移転したかは不明だが、平林堂書店(教科書などをここで購入した記憶がある)の跡地が輝美堂(笠岡町4‐24)だ。
※㈱八杉商店のホームページにアクセスすれば戦前の市街地図(文化の中心であった船町周辺)の一部を見ることができる。