寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山今昔その4・笠岡町にあったショッピングセンター

2012年08月18日 | 日記
広島県福山市笠岡町1-13に「とおり町交流館」の看板が出ている。マンション・ダイアパレスプラザ本通りの1階に交流館があり、背後(西側)は笠岡町公園である。

この場所にはかつてショッピングセンターがあった。通町(とおりちょう)筋の住民から「ほんど~るピック」と呼ばれていたことを最近聞いた。私は中学生の頃にショッピングセンターによく来ていた。

店名も何階にあったかもすっかり忘れてしまったが、マニアックなプラモデル屋が密かに営業していた。昭和町の大松模型店では扱っていないイタラエリ(現イタレリ)の1/35シリーズが置いてあるのが大きな魅力だった。私の記憶が正しければ、この店は後に花園町2丁目へ移転したはずである。

母が「通町に元気がなくなったのはダイエーが来てからよなー」と回想していたが、私が同様の感情を抱くようになったのは昭和53年(1978)頃である。ダイエー福山店の開業から10年後にあたる。それまではほとんど通町周辺で買い物をしていた。はぶ文泉堂やスポーツ用品店の国輝堂(支店が駅前大通り沿いの繊維ビル1階にあった)や書店はよく利用したものである。だから自転車で駅前のデパートまで出掛けるというのは特別なことを意味していた(少なくとも小学校卒業までは)

マンション・ダイアパレスプラザ本通り

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島県福山市丸之内1丁目の福寿会館(後編)

2012年08月18日 | 郷土史
木造二階建てモルタル塗りの洋館は昭和10年(1935)から12年頃の建築で国登録有形文化財に指定されたのは最も早い(平成9年7月15日)。

洋館1階

現在1階は茶処ばらになっており、郷土料理うずみなどの食事もできる。戦前の雰囲気を残す数少ない場所として市民に愛されている。洋館の前に建つ標石には所有権の移行の歴史が書かれてあった(※渋谷昇氏は福山通運の創業者)

福寿会館の標石


福壽會館
昭和二十八年五月福山市天神町澁谷昇氏より福山市に寄贈せらる依って其の篤志を後世に傳える為に此の標石を建つ
昭和三十一年五月
福山市長 徳永豊

茶室と庭園

一般公開されている庭園では出張中のサラリーマンの姿を目にすることがある。県外のもっと多くの人に知ってもらいたい福山市中心部(備後国の本流)の宝だ。

開門時間

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする