寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

呉市音戸町遊廓跡に残る紀念碑

2012年08月23日 | 
「きょうごく」の角を曲がり細い坂道を下る。老人の指摘通り建設会社の人間が数人集まって工事の段取りについて話しているようだった。私は目礼を交わし南の方角へ向かった。

音戸町引地1丁目から音戸町鰯浜1丁目に向かう下り坂

かつて遊廓があった場所は普通の住宅地に変貌を遂げていた。民家と民家の間にポツンと開廓紀念碑(音戸町鰯浜1丁目9-13辺り)が建っているが、予備知識がない人にはチンプンカンプンだろう。

開廓紀念碑(表)

開廊紀念碑(裏)

 音戸町遊廓は広島県安芸郡倉橋島音戸町字音戸町に在つて、山陽呉線呉駅で下車し音戸行きの小蒸気船に乗れば会場四十分賃二十銭。広島から行けば海上一時間半賃四十銭。倉橋島は元一地峡を成して本州と続いて居たものを、平清盛が海運の便を計る為めに開鑿したもので、瀬戸の峡(ママ)い事に於ては日本一である。従つて潮流の速い事も日本一で「船頭かはいや音頭が瀬戸で、一丈五尺の櫓がしわる」と云ふ船頭唄が土地に在ると云ふ通りだ。音戸には平清盛の塚があつて、此の辺一帯が瀬戸内海での勝地と成つて居る。鏡の様な海面に浮ぶ大小様々な島々をうつとりと眺め乍ら、呉広島辺からも態々船で此処の遊廓迄遠征にやつて来る人も多い。昔は関西に於ける六大港の一つだつたので、船で旅行する人は必ず茲に休んだものだつた。従つて遊女も余程昔から居たものらしいが、時代は判明して居ない。遊廓制に成つたのは明治三十八年で、現在貸座敷が八軒あり、娼妓は八十五居る。福岡県、熊本県の女が多い。店は写真式で陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は午後六時から翌朝七時迄の一泊が五円で、短時間(一時間)遊びが二円五十銭である。台の物は含んでいない。娼楼には第二大黒楼、高瀬楼、清月楼、久保楼、常盤楼、田中楼、寿楼、大正楼等がある。

『全国遊廓案内』

島では特に井戸を大切に扱っていたと聞く。海のそばで真水を確保することは何よりも重要だったからだ。福山市鞆町にもこの六角井戸と形状がよく似たものがある。

六角井戸

独特の造りの家の前を通過し佐藤歯科の看板が見えた。歯科前の道は音戸旧道なつかし通りと呼ばれている。

佐藤歯科の北側の家

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扇風機の羽根とカバーを重曹溶液で洗浄する

2012年08月23日 | 日記
扇風機の風が弱くなったと感じた時が「掃除しましょう」という合図だ。羽根やカバーに綿埃が大量に付着するとモーターに余計な負荷がかかり扇風機の寿命を縮めることにつながる。

洗浄方法は簡単である。たらいにぬるま湯を入れ重曹を溶かし羽根・カバーなどを浸ける。汚れはすぐに落ちるので3台分の清掃にかかった時間は20分ほどだった。扇風機は10月初旬まで使うはずだから8月下旬を目安に1度掃除しておくとシーズン終了後の手間が半減する。

扇風機の羽根とカバー(3台分)を洗浄

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