寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山県和気郡和気町大田原の由加神社(前編)

2013年12月05日 | 
金剛川に沿って県道96号を進む。スピードを出した車がバンバン行き交うが、歩行者は私以外見当たらない。JR和気駅から1キロばかり離れた所(和気町大田原)に由加神社の標識が出ていた。

和気由加神社の石柱

和気由加神社の由緒

道路沿いの参道から境内に入ってすぐ右手に神社の縁起を記した説明板が立っている。当神社は和気氏と関係が深いようだが、創建時期は不明とのこと。明治5年に由加神社と改称して現在に至る。

和気由加神社の石鳥居

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福山市若松町1の徳風地蔵菩薩(鉄道事故犠牲者を慰霊するために建立)

2013年12月05日 | 郷土史
水野家墓所と水野公園の境に一体の地蔵菩薩が祀られている。私は『聞書き東学区物語増補復刻版(平成二五年九月発行)』を読んでこの存在に初めて気付いた。

 洞林寺の西角に石の地蔵菩薩がある。山陽線踏切があったころ、…あやまちの他に自殺もたびたびあって、昭和になっていつのころか、この地蔵さんが建てられた。
 一つ東よりに、寺町・御船・入船・三吉方面の子どもたちの通学路の無人踏切があった。…一般の人も危ないというので警報機をとりつけた。それからはチンチン踏切というようになった。
 事故者慰霊のため、ここにも地蔵さんが祀られた。

徳風地蔵菩薩台座の銘

徳風地蔵菩薩台座の銘2

台座には徳風地蔵菩薩と彫られており昭和十二年四月に建立されたものであった。国鉄の踏切が存在した頃は痛ましい事故が度々起こっていたという話は親から聞いていたが、犠牲者を供養するために有志が地蔵を祀ったことは知らなかった。

踏切があった場所(赤丸)

踏切のあった地点を昭和五年の市街地図を用いて赤丸で示した。現在寺町と若松町との間で道は途切れているが、水野公園を縦断するかたちで道は続いていたものと思われる。今でもその痕跡を辿ることはできる。

水野公園

寺町川よりかつて踏切があった付近を望む

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岡山県和気郡和気町和気の法界地蔵尊

2013年12月05日 | 
大題目石のすぐ近くに鉛筆状の石原長重郎道明之碑が立つ。金剛川に沿ってのびる県道96号の見通しが良くなる辺り、和気富士の麓に地蔵堂らしきものがあった。

地蔵堂

中央が法界地蔵尊で台座には宝暦の文字が刻まれている。向かって右の地蔵は首を継いでおり、左は体の大部分が失われていた。地元の人が分散した地蔵をひとまとめにして祀っているのだろうか? 

法界地蔵尊

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